「ぶたはぼんやりしているようにみえるでモンキ」「しかし、極めてはっきり見通せているのかも知れないでコアラ」
今日は頭痛で、シゴトの多くを明日に回してしまった。明日は絶望的である。しかし、よくよく見通して考えてみると、明日から行かないことにしたら得した気分?と言えるのカモしれんぞ。
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明の文人・鄭板橋は、
嘗書四字於座右曰、難得糊塗。此極聡明人語也。
嘗て四字を座右に書して曰く、「糊塗を得難し」と。これ極めて聡明人の語なり。
いつも、「ぼんやりしているのは難しい」という文字を書いて、座席の右側に懸けていたという。このコトバは極めてはっきり見通せるひとのコトバであるといえよう。
思うに
糊塗人難得聡明、聡明人又難得糊塗。須要於聡明中帯一点糊塗、方爲処世守身之道。
糊塗人は聡明を得難く、聡明人はまた糊塗を得難し。須らく聡明中に於いて一点の糊塗を帯び、まさに処世守身の道と為すを要す。
ぼんやりしたひとははっきり見通すことは難しく、一方、はっきり見通せるひとにはぼんやりしていることは難しいもの。はっきり見通しながら、少しだけぼんやりしていることによって、世間に対応し己を守る方法とすることが必要なのだ。
ぼんやりしていないとどうなるか。
若一味聡明、便生荊棘、必招怨尤。反不如糊塗之爲妙用也。
もし一味に聡明ならば、すなわち荊棘を生じ、必ず怨尤を招く。反って糊塗の妙用を為すに如かざるなり。
もしはっきり見通せるばかりであると、そこにイバラの棘が生じる。必ずや怨みや罪を招くことになるのだ。ぼんやりしていることがよい働きをするのに、却って敵わないであろう。
なるほど。
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清・銭泳「履園叢話」二十四より。勉強になります。みなさんの行く道にイバラの棘が生えているのは、聡明だからだったんです。ぼんやりしてて叱られるのもツラいけど、イバラの棘よりましだろう。