平成30年9月18日(火)  目次へ  前回に戻る

ウサギなのかぶたなのか、謎のぶたウサギだ。ぶたウサギは悲しからずや、ぶたにもウサギにも染まずただよう? あまり悲しくなさそうだが。

今日は何とか終わったが、明日がまたくる。ツラいので、悲しみの歌でも歌おう。

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悲来乎、悲来乎。 悲しみ来たれるかな、悲しみ来たれるかな。

特に解釈の必要はありますまい。

主人有酒且莫斟、 主人酒有るもしばらく斟(く)むなかれ、

聴我一曲悲来吟。 聴け、我が一曲の「悲来吟」を。

 おまえさんは酒の用意をしてくれているだろうが、しばらく出さなくてもいい、

 その前にまずわしの「悲しみ来たれるのうた」を一曲聞いてくれ。

だいたいですよ、

悲来不吟還不笑、 悲しみ来たりて吟ぜず、また笑わざれば、

天下無人知我心。 天下に我が心を知る人無からん。

 悲しみがやって来たときに歌をうたいもせず、(それによって悲しみを払拭して)その後で笑いもしないなら、

 この世にわしのキモチを知ってくれる人がいなくなってしまうではないか。

歌でひとびとにわしのキモチを伝えようというわけだ。

君有数斗酒、 君に数斗の酒有り、

我有三尺琴。 我に三尺の琴有り。

 おまえさんには数斗の酒があり、

 わしにはこの三尺の琴がある。

「三尺の琴」は、古代の聖人・神農氏が作った琴のことなんだそうです。

琴鳴酒楽両相得、 琴鳴り、酒楽しく、両つながら相得れば、

一杯不啻千鈞金。 一杯はただに千鈞の金のみにあらざらん。

 琴の音と酒の楽しみと、両方ともここにあるのだから、

この一杯の酒は、千鈞(三万斤=20トンぐらい)の黄金にも値しよう。

すごい高そうですね。

まだ続きます。

悲来乎、悲来乎。

天雖長、地雖久、 天長しといえども、地久しといえども、

金玉満堂応不守。 金玉(きんぎょく、と読んでください)は堂に満つるもまさに守られざらん。

 天空は永遠に存在し、大地はいつもまでも滅びないとはいうけれど、

 建物にいっぱいの黄金や珠玉は、いつかは消えてしまうのだ。

富貴百年能幾何、 富貴百年もよくいくばくぞ、

死生一度人皆有。 死生は一度(ひとたび)、ひとみな有り。

 財産豊かで高い地位に昇ったとて、人生は百年ぐらい、どれほどの期間があろうか。

 死は生きている以上、どんなひとにも一度は訪れるものではないか。

耳を澄ませてみなされ。

孤猿坐啼墳上月、 孤猿坐して啼く、墳上の月に。

且須一尽杯中酒。 まさにすべからく一尽すべし、杯中の酒。

 孤独なサルが、墓の上に座って、昇ってきた月に向かって悲しげに啼いているのが聞こえないか。

さあ、今は一気に飲み干そう、このさかずきの酒を。

まだ続きますが、今日はここまで。

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唐・李太白「悲歌行」。李太白の詩は調子がいいので、読んでいるとなんだか少し楽しくなってきませんか。

 

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