どんどん勢力を拡大するデビル一派。ついにもぐデビルまで出現したが、このあたりが頭打ちか。そろそろ見極めて隠棲しなければなるまい。
拙道のような者は、やはりニンゲン世界には長くいられません。山中の洞窟に帰りますわい。そういえば、休載宣言中の岡本全勝さんは、どうやら奥さまと海外に行ってるみたいで、どこかの洞窟に隠棲したのではなかったようです。残念だなあ。
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↓は、山中に帰るわしに対して作ってくれた詩なのかな。
無媒径路草蕭蕭、 無媒の径路には草蕭々、
自古雲林遠市朝。 いにしえより雲林は市朝に遠し。
「媒」は男女の中を取り持つひとのことですが、ここでは有力者に紹介してくれる伝手となる人にことを言っています。
おえら方に推薦してくれる人もいないので、ひとり帰りゆく道には、草が蕭々とわびしく鳴るばかり。
昔から、隠者の住む雲の彼方の山林は、市場や朝廷のある都市から遥かに遠いところなのだ。
「史記」巻七十「張儀列伝」の中で、張儀が秦の恵王に向かって言う、
臣聞、争名者於朝、争利者於市。
臣聞く、「名を争う者は朝に於いてし、利を争う者は市に於いてす」と。
「わたくしはこのようなコトバを聞いております。
―――名声を得ようとする者は(そういう人たちの集まる)朝廷でしのぎを削り、利益を得ようとする者は(商人たちの集まる)市場で争うものだ。
と。
と言う場面があります。
実はこのコトバは、「辺境の蜀を平定して国力を着けてから中原に進出すべきだ」と論ずる政敵の司馬錯らの方針を批判し、「先に中原に進出して優勢を得てから背後を固めていくべきだ」と主張するために使われている「スローガン」なのですが、このコトバのおかげで権力や利益を求める場を指す「市朝」という熟語が出来ました。
閑話休題。
ああ、君よ、世俗を怨んではならぬ。
公道世間唯白髪、 公道なるは世間にただ白髪のみ、
貴人頭上不曾饒。 貴人の頭上もかつて饒(ゆる)さず。
公平な道理があるものといえば、世の中には、白髪しかないのである。
身分高いひとたちの頭の上も、一度も(白髪に)見逃されたことはないのだ。
誰の頭も白くなる、老いは誰にも訪れるのである。
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唐・杜牧「送隠者一絶」(隠者を送る、一絶)。老いてまいりました。ちょうど隠棲するのによい時機かも。・・・一方、杜牧の詩句については、髪を染めたらどうするんだとか、そもそも白髪も残らない状態のひとの場合はどう評価されるのか、など、多くの反論が予想される。