闇にうごめくひよこデビルたち。だが、相手は巨大ニワトリだ。悪についてはひよこデビルたちの力量では及ぶべくもないカモ知れない。
もう考えるのイヤなんです。感じるままに生きていきたいなあ。
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東晋の太元十五年(390)のことなんだそうですが、晋朝の外戚でもある王恭さまが、青州太守に任命され、
欲請江盧奴爲長史、晨往詣江。
江盧奴(こう・ろど)に長史たらんことを請わんと欲して、晨に往きて江に詣る。
江盧奴は名を「豈攵」(←「豈」につくりが「攵」(のぶん)。ガイ)といい、盧奴はその小字(コドモのころの呼び名)。当時の名士で漂騎諮議という職にあったようです。
江盧奴に副官になってもらおうと思って、それを依頼しに、朝早くに江の家に行った。
朝早かったので、
江猶在帳中。
江なお帳中に在り。
江はまだカーテンの向こう(のベッドの中)にいた。
そこで
王坐、不敢即言。良久乃得及。
王坐し、あえて即言せず。やや久しくしてすなわち及ぶを得たり。
王は座ったまま待って、すぐには用向きを言わなかった。かなり経ってから(江も起きだしてきて面会し)、やっと言うことができたのであった。
ところが
江不応。
江、応じず。
江は答えなかった。
さらに、なんと、
直喚人取酒、自飲一椀、又不与王。
ただちに人を喚びて酒を取り、自ら一椀を飲むも、また王に与えず。
すぐに家人を呼んで、酒を持って来させ、自分でお椀に一杯飲んだが、王には与えなかった。
王且笑且言、那得独飲。
王、かつ笑いかつ言う、「なんぞ独り飲むを得んや」と。
王は笑いながら言った。
「よくも自分ひとりだけで飲むことができるものだなあ」
江はそこではじめて口を開き、
卿亦復須邪。更使酌与王。
「卿もまた、また須(もち)うるか」。さらに酌みて王に与えしむ。
「きみもまた、やはり飲むのかね」
そして、椀にもう一杯酌んで、王に(家人に持って行かせて)与えた。
王飲酒畢、因得自解去。
王、酒を飲みて畢(おわ)り、因りて自解を得て去る。
王はこの酒を飲み終わると、それで自分では納得が行ったみたいで、「それでは」と帰って行った。
未出戸、江歎曰、人自量固爲難。
いまだ戸を出でざるに、江歎じて曰く、「人、自ら量ること、もとより難しと為せり」と。
王がまだ戸を出るか出ないかの時に、江は嘆息して言った。
「ひとが自分の器量を弁えるということは、ほんとうに難しいことだなあ」
わーい。朝からお酒飲んでいい暮らしだなあー。
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「世説新語」方正第五より。
これはそこそこ有名なエピソードなんですが、実はわたくしにはまったくわからないんです。
@ 江さんは、王さんについて、「自分の器量を弁えるのは難しいことであり、あのひとはやはりわかってないなあ」と言っている。
A 江さんは、王さんについて、「自分の器量を弁えるのは難しいことだが、あのひとは少しわかっているようだなあ」と言っている。
B 江さんは、自分について、「自分の器量を弁えるのは難しいことだが、王さんがわたしにあのように接したということは、わたしには器量が有るのかなあ」と言っている。
C 江さんは、自分について、「自分の器量を弁えるのは難しいことだが、王さんがわたしにあのように接したということは、わたしには器量が無いのだろうなあ」と言っている。
のいずれであるのだろうか。
王恭は当時(東晋の末期)におけるおそらく最高の風流貴族であり、「風流にして秀出せり」とか「真にこれ神仙中の人」とまで言われていた人なので、一杯の酒を求めて納得して返事も聞かずに帰っていく度量を見れば、AかBのように見えるのです。一方、王恭は、東晋末の権力中枢の腐敗に耐えきれず、二度も叛乱を起こして一回目は成功して君側の奸を追放したのですが、二回目には失敗して権力者の司馬道子らに捕らえられ、死罪となってしまった、という「正義の敗者」であることを考えると、とにかく敗者に厳しいチャイナの歴史思想を考えると後付け的に@であるような気もするし、どうやら江盧奴は王の部下になるのを引き受けなかったように見えますので、そうすると@かCとも思われます。@と読むときは「おれにも酒を飲ませろ」とは度量が小さいなあ、ということになるんでしょう。
劉孝標の注などを見ても断定してくれてないので困るなあ。「方正」篇にある、ということを考えると、同篇のメイン・テーマ的には「対応に間違いが無かった」と言う話なのだと推測されるので、@と読んで、権力との距離を置いた江盧奴さんエライ、とするのが安全なのかも知れませんが、王の行為見ていると物事にこだわらずに単純にカッコいいので、感じるままにはAにしたいところ。よし、明日の講話ではそう話しておくことにしますぞよ。明日の講話会に出席するひとがいたら、「そうだ、そうだ」と賛同してくだされよ。