「ぶっふっふ、景気がよろしいようでぶね」世間様の目も気にせず、ぶたデビルに接近するぶた天使だ。本質的に同類なのであろう。
台風過ぎてまた暑くなってきました。「暑ければハダカで暮らせばいいじゃない」という気がしますが、そうはいかないんです。世間様の目ってものがありやすからね。
・・・・・・・・・・・・・・・
ハダカでいたり、量ばかり多い粗末なものを食べていたり、立派な家に住んでいなかったりすると、
要好看。
といわれます。
好看を要す。
外見に気をつかえ。
というような意味になるでしょうか。
しかしながら、
先人嘗曰、人只為要好看三字、壊了一生。
先人かつて曰く、「人ただ「要好看」の三字のために、一生を壊了す」と。
「先人」とは、「死んだおやじ」のことです。
死んだうちのおやじはいつも、「ひとはみんな、「外見に気をつかえ」の一語のために、人生を壊してしまうんじゃよなあ」と言っていたなあ。
おやじの言うことによれば、
便如飲食、有魚菜了、却云簡薄、更置肉。
すなわち飲食の如きは、魚菜有りて了するに、却って簡薄ならんと云いて、さらに肉を置く。
まず食い物については、魚料理がついていれば十分だ。それなのに、質素に過ぎて外見がよくない、と言って、肉料理を付け加える。
次に、
衣服有闕損、攙修補足矣。却云不好看、更置新鮮。
衣服闕損有れば、修補を攙(さしはさ)めば足る。却って好看ならずと云いて、さらに新鮮を置く。
衣服に破れたり擦り切れたりしたところがあっても、修理してつぎはぎしてやれば足りる。それなのに、外見がよくない、と言って、新しく色あざやかな服をあつらえる。
さらに
房舎僅可居処待賓。却云不好看、更欲装飾。
房舎はわずかに居処し賓を待つべし。却って好看ならずと云いて、さらに装飾を欲す。
部屋や家はそこで暮らせて、客が来たときに歓迎できればいい。それなのに、外見がよくない、と言って、いろんな飾りつけをしたがる。
以上のように、「外見がよくない」というのは、
所以虚費生物、都因此壊了。
費を虚しくし物を生ずる所以、すべてこれに因りて壊了す。
無駄遣いをし、要らないものを買ってしまう原因になり、みんなこれのせいで壊れて行ってしまうんじゃ。
・・・というのがおやじの言い分でしたなあ。
確かに、
先人一履、皆踰数年、随損随補。一白綢衽、着三十年。終身未嘗兼味。所居数間、僅蔽風雨、客位窗壁損漏、四十余年未嘗一易。
先人の一履、みな数年を踰え、随いて損し随いて補う。一白の綢衽、着すること三十年なり。終身いまだ兼味を嘗めず。居るところ数間、わずかに風雨を蔽うのみにして、客位、窗壁は損漏し、四十余年いまだかつて一易せざりき。
おやじの履き物は何年も使っていて、壊れれば直して用いていた。白い緞子の布団が一枚だけあったが、これを三十年使っていた。一生涯、メインのおかずが二つ、という食事はしなかった。暮らしているところは数間の小さな家で、風や雨を防ぐことはできたが、お客の座る場所や窓や壁は壊れ、雨漏りがしていて、それでも四十年以上一度も住まいを換えることはなかったなあ。
そんなおやじを
郷里皆譏誚之、不顧也。
郷里みなこれを譏誚するも顧みざるなり。
田舎のやつらはみんな、ケチだバカだといろいろ批判していたが、まったく相手にしていなかったなあ。
・・・・・・・・・・・・・・・
と、元の静齋先生・孔斉が「至正直記」巻一の中で言っておられます。おいらも「座って半畳、寝て一畳」だと思って住むところや着るものは気にしないことにしてきたのですが、もうダメだ、エアコンが無いと生きていけない。服は新聞紙でもいいですが。