平成30年7月18日(水)  目次へ  前回に戻る

すさまじい食欲を誇るぶたキング。ヒヨコまで食べてしまうかもしれない。夏バテしないように食いまくると、体が重くなってバテてくるから不思議である。

今日も暑かった。ばてた。ニンゲン世界での判断力がどんどん減ってきた。

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―――善男子よ。

円覚普照、寂滅無二。

円覚は普(あまね)く照らす、寂滅して二無し。

完全な感覚があらゆるものを照らし出し、静かに迷いを滅してしまって(自分と他者という)二項対立が無くなってしまう―――

という状態に至りますと、

此菩薩及末世衆生、修習此心、得成就者、於此無修、亦無成就。

この菩薩及び末世の衆生にして、この心を修習し、成就を得たる者は、ここにおいて修むる無く、また成就する無し。

いまここにいるボサツや現在の世に生きる者たちが、この心を学習して、完成まで至ったとすると、彼らはここまで来たら、もう学習することは無いし、これ以上完成することも無いのである。

その状態ではどうなっているか、と言いますと、

於中、百千万億不可説阿僧祇恒河沙諸仏世界、猶如空花乱起乱滅、不即不離、無縛無脱。

中において、百千万億不可説阿僧祇恒河沙(ひゃくせんまんのく・ふかせつ・あそうぎごうがしゃ)の諸仏世界ありて、なお空花の乱起し乱滅し、即(つ)かず離れず、縛する無く脱する無きがごとし。

心の中では、百千万億というすごい数の、説明もできず、数えもつくせぬガンジス川の沙ほどもおられるもろもろのみほとけたちが、それぞれに救済されている世界が現れているのである。それらの世界は、まぼろしの花が舞い上がり舞い散りように、ひっつきもせず離れもせず、束縛されもせず脱け出しもしないでいるのである。

こうして、

始知衆生本来成仏、生死涅槃如昨夢。

始めて知る、衆生は本来成仏し、生死涅槃も昨夢の如きことを。

ついに知ることができよう。生きとし生きるものは本来、すべて仏となっておること、そして、生きたり死んだり涅槃に入ったり、といったことも昨日の夜みた夢のようにはかなく忘れられていくのであることを。

・・・と、仏さまは普眼菩薩さまに教えたのでありました。

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と、「大方広円覚修多羅了義経」(「円覚経」)巻三に書いてありました。同経は大唐罽賓三蔵仏陀多羅の訳、と書かれているんですが、サンスクリット原典が確認されておらず、代表的な「中国撰述仏典」(チャイナで書かれた経典)の一つとされております。

それにしてもありがたやー。暑くて、昨日の夢はもちろん、昨日のことも覚えてないぐらい夏バテしてきておりますが、われら衆生は本来成仏していたとは。これから成仏しなくていいとは、すばらしい。

 

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