平成30年6月29日(金)  目次へ  前回に戻る

有無を言わさずにぶたやモグなどを承服せしめるとは、なんとすごい折衝能力であろうか。しかし完膚なきまでに承服させたとしても、ぶたやモグたちには言われたこともできないのであまり意味が無いのだ。

今週終了。来週が来なければシアワセなキモチになれるところだが、来週が来るので不安である。来週は折衝をしないといけないカモ。

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週末なんで漢文らしいものを読んでみます。

晋の平公(在位前557〜前532)が斉を攻めようと考え、大夫の范昭を斉に遣わしてその様子を観察せしめた。

大国晋の有力大夫・范昭が来たというので、斉の景公(在位前547〜前490)は、宴会を開いて歓迎した。

宴が進んだとき、范昭は言った、

請君之棄s。

請う、君の、sを棄てられんことを。

「殿さま、今手にしておられる酒樽を手離していただけませんかな?」

これは意味深なコトバです。景公に斉の国の一部を手放す気はありますかな?と暗にカマをかけた・・・のかも知れません。

景公はそこまで読まず、

酌寡人之s、進之於客。

寡人のsを酌みて、これを客に進めよ。

「わしの酒樽にお酒を酌んで、客人に差し上げなさい」

「お手離しいただけるとは・・・ありがたきシアワセ」

范昭飲之。

范昭これを飲む。

范昭は景公の酒樽を受け取って、そこから酒を杯に注いで飲んだ。

飲み干さぬうちに、接待側の一人、晏嬰が進み出て、

徹s更之。

sを徹してこれを更えよ。

「酒樽を片付けて、新しいのでお飲みいただくようにせよ」

と指示しましたので、お酌の者はまだお酒の入っている景公の酒樽を取り下げ、新しい酒樽を持ってきた。斉公が手離そうとしても、臣下が許しませぬぞ、と暗に応えた・・・のカモ。

「むむむ」

范昭佯酔、不悦而起舞、謂太師曰、能爲我調成周之楽乎。吾爲子舞之。

范昭佯り酔いて、悦ばずして起ちて舞い、太師に謂いて曰く、よく我がために成周の楽を調うるか。吾、子のためにこれを舞わん。

范昭は酔っぱらったふりをしながら、不愉快そうに立ち上がると、

「舞いをお見せしましょう」

と言い出し、宴席に侍っていた斉の楽団長に向かって、

「楽団長、周王国の音楽を演奏してもらえませんかな? わしは、それに合わせて舞いをお見せしましょうぞ」

と言った。

ちなみに「成」は「城」の偏です。「成周」という言い方は、「都市国家・周」と言っていると思ってください。周はもちろん、当時の斉や晋などの諸侯国の(少なくとも名目上の)所属する王国です。

太師曰、冥臣不習。

太師曰く、冥臣習わず。

楽団長は当時の音楽者の常として、盲目である。

楽団長は、見えぬ目をしばたたかせながら言った。

「めしいの臣であるやつがれ、周王国の音楽は学んだことがございませぬ」

范昭はそれを聞くと、たいへん不機嫌そうに、

「そうか、そうですか。では・・・、失礼いたす!」

と言い捨てると、すたすたと宴席から引き上げてしまった。

白けた感じでお開きになりました。

景公は顔を曇らせて、晏嬰に向かって言った。

「晋は大国であり、范昭は立派な方である。その彼をあんなに怒らせてしまって、どうするつもりなのじゃ?」

晏嬰は答えた。

范昭之爲人也、非酒而不知礼也。且欲試吾君臣。故絶之。

范昭の人となりや、酒して礼を知らざるにあらざるなり。まさに吾が君臣を試みんと欲す。故にこれを絶するなり。

「おっしゃるとおり、范昭どのは酒を飲んで礼を失するような人物ではございません。おそらくわたしども君臣の対応にスキが無いか確認しようとされたのでしょう。それで、その行動を止めさせたのです」

「うーん」

景公は続いて太師に言いました。

子何以不爲客調成周之楽乎。

子は何を以て客のために成周の楽を調えざるか。

「楽団長、あなたはどうしてお客人のために周王国の音楽を演奏しなかったのだ?」

太師は答えた。

夫成周之楽天子之楽也。調之、必人主舞之。今范昭人臣、欲舞天子之楽、臣故不爲也。

それ、成周の楽は天子の楽なり。これを調うれば、必ず人主これに舞う。いま范昭は人臣にして天子の楽を舞わんとす、臣は故に為さざるなり。

「やや。周王国の音楽は天子である周王の音楽ですぞ。それを演奏するなら、これに合わせて舞いを舞うのは、(殿様たちのような)諸侯でなければならぬ決まりでござる。さきほど范昭さまは諸侯の部下でありながら、この天子の音楽に合わせて舞おうとおっしゃられた。それで、やつがれは演奏するのを止めたのでございます」

「うーん。おまえたちは保守的だなあ。晋の機嫌を損ねて何か起こったら、おまえたちに責任をとってもらうからな」

景公は苦り切った顔で二人に言いましたのじゃった。

さて、晋に帰った范昭は平公に報告して言うに、

斉未可伐也。臣欲試其君、而晏子識之。臣欲犯其礼、而太師知之。

斉はいまだ伐つべからざるなり。臣その君を試みんとするに、晏子これを識れり。臣その礼を犯さんとするに、太師これを知れり。

「斉を攻撃するのはまだお止めになった方がよろしい。わたくしが斉公の人物を試してみようとしたところ、晏どのがすぐにそれに気づいて止めさせました。わたくしが斉の秩序を混乱させてみようとしたところ、楽団長がそれに気づきました。(このような国を攻めると、反撃を食らって痛い目に会いましょう)」

こうして、斉は晋から攻められることは無くなったのであった。

孔子がこの事件を伝え聞いて、こんな評価をしている。

夫不出於尊俎之間、而知千里之外、其晏子之謂也。可謂折衝矣。

それ、尊俎の間を出でずして千里の外を知る、とは、それ晏子の謂いなり。折衝すと謂いつべし。

「ああ。さかずきと食べ物を載せる板の間から離れていないのに、千里の外で何がどうなるか予測している、というような(最高級の外交家)とは、まさに晏先生のことであろう。諸君、「折衝」(折ったりぶつけたり)というのは、こういうことを言うのだぞ」

と。

「折衝」とはこういう意味なんです。その場しのぎではなく、後でこのことがどう評価され、相手がどう動くことになるかを予測しながらやらないといかんらしいのである。

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「晏氏春秋」巻三・雑上より。なんと難しいことでしょうか。わたしには無理なので、来週は現世から離れるようにします。後はYGやAKがやると思うのでよろしく。

(どうせアップできないから、職場のやつらはこの動きに来週まで気づかないでしょうけどね。うっしっし。)

 

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