平成30年6月19日(火)  目次へ  前回に戻る

大空を飛ぶ翼竜のように自由な心を持ちたいものじゃのう。

今日は暑くて疲れました。「それじゃあ涼しいと疲れないのか」と言われるとそうでもないので困ってしまうのですが。

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むかし、あるところにお坊さんがおられまして、

常念弥陀号。

常に弥陀の号を念ず。

いつも「阿弥陀仏」のお名前を唱えていた。

ある日、小僧さんがお坊さんに、

和尚。

と呼びかけた。

「なんじゃ?」

主回首、小師不顧。

主、首をめぐらすに、小師顧みず。

和尚さんが振り向いたが、小僧さんは別の方を向いている。

「ふん」

と和尚さんがまた阿弥陀如来に祈っておりますと、また小僧さんが

和尚。

と呼びかける。

「なんじゃ?」(以下同じ)

如是数四、主叱之。

かくの如きこと数四、主これを叱す。

こんなことを四回ぐらい繰り返したので、さすがに和尚さんも怒りました。

「怪しからん!」

すると小僧さんが言いますには、

和尚幾年喚他即得、某甲才喚便悪発。

和尚幾年か他を喚びて即ち得るに、某甲(むこう)わずかに喚びてすなわち悪発せんや。

「和尚さまはもう何年も、あの方(阿弥陀様)に呼びかけ続けていなさるのに、おいらが何回か和尚さまに呼びかけただけで、どうしてお怒りになるのですか?」

と。

「これは一本やられたのう、わしが呼びかけたら阿弥陀如来は振り向いてくれておられるのに、わしはよそを向いておる、ということか」

「うっしっしー」

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歴代の名僧の言行録の「ダイジェスト」である「聯灯会要」の最終巻である巻二十九・亡名尊宿お名前のわからないえらい方々の一番最後(すなわち「聯灯会要」の一番最後)のお話です。なむあみだぶつ。

 

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