大空を飛ぶ翼竜のように自由な心を持ちたいものじゃのう。
今日は暑くて疲れました。「それじゃあ涼しいと疲れないのか」と言われるとそうでもないので困ってしまうのですが。
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むかし、あるところにお坊さんがおられまして、
常念弥陀号。
常に弥陀の号を念ず。
いつも「阿弥陀仏」のお名前を唱えていた。
ある日、小僧さんがお坊さんに、
和尚。
と呼びかけた。
「なんじゃ?」
主回首、小師不顧。
主、首をめぐらすに、小師顧みず。
和尚さんが振り向いたが、小僧さんは別の方を向いている。
「ふん」
と和尚さんがまた阿弥陀如来に祈っておりますと、また小僧さんが
和尚。
と呼びかける。
「なんじゃ?」(以下同じ)
如是数四、主叱之。
かくの如きこと数四、主これを叱す。
こんなことを四回ぐらい繰り返したので、さすがに和尚さんも怒りました。
「怪しからん!」
すると小僧さんが言いますには、
和尚幾年喚他即得、某甲才喚便悪発。
和尚幾年か他を喚びて即ち得るに、某甲(むこう)わずかに喚びてすなわち悪発せんや。
「和尚さまはもう何年も、あの方(阿弥陀様)に呼びかけ続けていなさるのに、おいらが何回か和尚さまに呼びかけただけで、どうしてお怒りになるのですか?」
と。
「これは一本やられたのう、わしが呼びかけたら阿弥陀如来は振り向いてくれておられるのに、わしはよそを向いておる、ということか」
「うっしっしー」
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歴代の名僧の言行録の「ダイジェスト」である「聯灯会要」の最終巻である巻二十九・亡名尊宿(お名前のわからないえらい方々)編の一番最後(すなわち「聯灯会要」の一番最後)のお話です。なむあみだぶつ。