あまりのやる気の無さについにナマケモノが木から落ちた模様。やる気無しドウブツはモグ→ナマケモノ→コアラと進化してきたと推定されているが、木から落ちたナマケモノは退化してまたモグに戻るようである。
NPBは今日から交流戦開始。交流と言えば、交流して人間関係を広げるのはいいことなんだろうなあ、と昔は思いましたが、今は退化して、交流しなくてもそれもいいなあ、と思ったりします。
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北宋、四川・眉州のひと玉泉承晧禅師、あるとき自画像に自ら賛して曰く、
粥稀後座、牀窄先卧。耳聵愛高声、眼昏宜字大。
粥稀れにして後に座し、牀窄(せま)くして先に臥す。耳聵して高声を愛し、眼昏くして字の大なるに宜し。
薄いカユの食事の席に、人に後れて来てしまった。
ベッドが窮屈そうなので、人より先に寝てしまおう。
耳が遠くなっておるので、大きな声で話してくれ。
目が見えにくくなっておるので、大きな字にしてもらいたい。
若いころにはなかなか悟れなかったが、年老いてからはわしが一番よくわかっておる。だから敬え、というのでありましょうか。
―――ある日、僧が部屋に教えを伺いにやってきた。
狗子在室中。師叱一声、狗便出去。
狗子室中に在り。師、叱ること一声、狗すなわち出で去る。
そのとき(寺に飼われている)イヌが部屋にいた。禅師がイヌを叱りつけたところ、イヌはすぐに部屋から逃げ出して行った。
それから、禅師は僧の方を振り向いて言った、
狗却会、你却不会。
狗却って会するに、你却って会せず。
「イヌの方はわかってくれたが、おまえの方が逆にわからんようだな」
―――さて、禅師も病気になりました。門人たちが回りを取り囲んでいる中で、
師笑曰、吾年八十一、老死舁屍出。郎斉著力、一年三百六十日。
師笑いて曰く、吾年八十一、老死せば屍を舁きて出よ。郎ら斉しく著力せよ、一年三百六十日。
禅師は笑って言った。
「わしは数えで八十一歳、老衰して死んだら死体を担いで(火葬場に)持って行ってくれ。おまえさんたちみんなで力を出すんじゃぞ。一年中、毎日そうやっているように」
言畢而逝。
言畢りて逝けり。
そう話し終えると、死んだ。
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「五燈会元」巻十五より。人間よりイヌと交流しあえたようです。