体調が悪いらしく何もしたくない状態のブタ。外見も能力も普段とだいたい同じである。
本日は頭痛でダメでした。休めばよかったカモ。どうせいてもいなくてもだし・・・。
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いた方がいい立派なひとも世の中にはいるんです。
唐の裴寛が郡太守を辞めて河南の忭中に帰郷しようとしたときのこと、
日晩維舟、見一人樹下、衣服故敝。
日晩れて舟を維ぐに、一人の樹下に衣服故敝なるを見る。
その日も暮れて、舟を停泊場所に舫ったとき、岸べの木の下に一人のおとこがいるのを見た。衣服は古ぼけ敗れていた。
古ぼけた服を着ているが、まだ若く読書人階級の士である。
興味を持って呼び寄せて話をしてみたところ、こちらは立派な船に乗った貴人であることは明らかなのに、特に阿るでもなく怖気るでもなく淡々と対応する。
「これは大したおとこだぞ」
大奇之、謂、君才識自当富貴、何貧也。
大いにこれを奇とし、謂いて「君が才識自ずから富貴たるべきに、何ぞ貧なるや」と。
大いにこのおとこを気に入り、
「おまえさんほどの才能や知識があればおのずと財産も地位も転がりこんでくるであろうに、どうしてこんなに貧乏なのじゃ」
と言った。
おとこは
「さあ、どうしてでしょうか」
と涼しげにほほ笑むばかりである。
「よろしい」
裴寛は
挙船銭帛奴隷与之、客亦不譲。
船の銭・帛・奴隷を挙げてこれに与うるに、客また譲らず。
船に載せてあっただけの銭や布、さらに下僕どもを、すべてこのおとこに与えることにした。そのおとこも「ありがとうございます」と受け取って、辞退もしなかった。
大した度量である。
会話が終わると、おとこは
「それではこの船をいただきます」
と
上船、奴婢偃蹇者、鞭扑之。
船に上り、奴婢の偃蹇(えんけん)する者は、これを鞭扑せり。
船に上がると、下僕たちのうちの態度の悪い者は、ムチで打ってしつけた。
それを見て、
裴公益以爲奇。
裴公ますます以て奇と為せり。
裴寛はますますこのおとこを気に入った。
このおとこは張建封、字を本中といい、後に徐州節度使となって徳宗皇帝(在位780〜805)の時代に大運河の交通を確保して、唐帝国の屋台骨を支えた。韓愈ら中唐の文人たちの保護者としても名高い。
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「唐語林」巻三より。おのずと富貴になるべきひとなので船をもらえたのでしょう。立派である。おいらたちだっておどおどしたり変に媚びたりして、タヌキのドロ舟ぐらいならもらえるカモ。