六道を輪廻するヘイケガニたち。「この生活もまずまずでカニ」と輪廻から逃れようという向上心もあまり無い。
「わーい、明日は週末だから朝寝坊ができる」などと喜んでいるひともいるかも知れませんが、わたくしども肝冷一族は世俗と縁を絶っているので、毎日起きてくる必要がありません。そのまま永久に寝ていることもできるのである。
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広州ではアヘンを吸うのが当たり前で(もちろん現代ではなく清の時代のことです)、
婦人穉子鮮不結習、官爲厳禁、莫能稍止。
婦人穉子も結習せざるもの鮮(すくな)く、官は厳禁を為せどもよく稍もとどむるなし。
女性もコドモも依存症になっていない者は少ないぐらいで、もちろん役所は厳禁だとしているのだが、少しも止めさせることはできていなかった。
はじめ吸い始めたころは、
学時売富、久即恋而莫釈、名曰上引。
時を学び冨を売り、久しくして即ち恋して釈くなき、名づけて「上引」という。
特定の時間にしか吸わず、またおカネのあるときにしか買わないのだが、しばらくすると続けざまになって手放すことができなくなくなる。これを「上等な吸引」という。
雖貧乏無立錐、甘不作饔飱計、必先市吸、謂過引。否則垂涕流涎、四肢疲軟、有如病発。
貧乏にして立錐無きといえども、甘んじて饔飱(ようそん)の計を作さず、必ずまず市に吸うを「過引」と謂う。否なれば涕を垂れ涎を流し、四肢疲軟して病の発するがごとき有り。
「饔」(よう)は朝飯、「飱」(そん)は晩飯のことです。(腹減ってきました。ああ、あったかい味噌汁で朝飯食いたいなあ・・・)
貧乏で錐を立てるような余地も無く、朝晩のメシの予定もできない状態に甘んじていても、必ずまず街中に出かけて行って通りすがりにひとの吸引しているアヘンを吸う。このような状態は「通りすがり吸引」というのだが、しかしそうしないと、鼻水を垂れ涎を流し、手足はくにゃくにゃになって立ち上げることも出来ず、まるで病人のようになってしまうのである。
さて、わたくし(←肝冷斎にあらず、清ひと朱海なり)の親戚筋に当たる郭亮采が、当時広州に赴任していた友人の宋小巌というひとを訪ねて行ったことがあった(おそらく職探しである)。
途中あまり上等でない宿屋に二晩続けて泊まったところ、
忽見鼠従梁上堕地不走、戯提其尾置几上、仍伏而不去。
忽ち鼠の梁上より地に堕つるも走らざるを見、戯れにその尾を提げて几上に置くも、なお伏して去らず。
思いがけなくもネズミが横柱の上から床にぼとんと落ちてきて、そのままそこから動かなくなってしまったことがあった。突っついてみても逃げようとしないのである。
「こいつ、なぜ動かないのだろう」
おもしろがって尻尾をつかんでテーブルの上に置いてみたが、それでもそこにごろごろしたまま逃げようとしない。
ちょうど宿の主人がやってきたので、
「この宿のネズミはみんなこんなものなのかね?」
と訊ねてみると、主人、ため息まじりに曰く、
客住此房、両日不吸鴉片、鼠無過引、故堕地耳。
客この房に住み、両日鴉片を吸わざれば、鼠の過引する無く、故に地に堕つるのみ。
「お客さまがこの部屋に二日もお泊りになって、その間アヘンをお吸いになられないので、ネズミが「通りすがり吸引」をすることができず、弱ってしまって地面に落ちてきたんです」
「ほんとかね」
にわかに信ずることができなかったが、試みに、
携鴉片噴之、少選疾馳、不知所之。
鴉片を携えてこれを噴するに、少選にして疾馳し、之くところを知らず。
アヘンを持ってきてもらって吸い、ネズミに吹きかけてみたところ、ほんの少しで素早く走り出し、目にもとまらぬ速度でどこかに逃げこんでしまった。
郭亮采も喫烟者だったんです。
「ほんとだね」
郭亮采は感心して、そのまま
留其煙管鴉片、傚吸消遣。
その煙管と鴉片を留め、倣い吸いて消遣す。
そのままキセルとアヘンを置いていってもらい、吸引してヒマつぶしをしていた。
「やっぱりアヘンはいいなあ・・・」
と手放すことができなくなってしまい、
至夜分、握管仮寐、聞身畔有呼吸声。
夜分に至りて管を握りて仮寐するに、身畔に呼吸の声有るを聞けり。
深夜までキセルを握ったまま、うとうとしていたところ、体の側で自分のではない呼吸の音が聞こえてきた。
(なんだ?)
と目を開けて、
回顧見一人、面白帯青、眼落眶内、両肩聳耳、骨瘦如柴、側身捧其煙管。
回顧するに一人の面白にして青を帯び、眼は眶(きょう)内に落ち、両肩耳に聳え、骨瘠せて柴の如きが、側身してその煙管を捧ぐるを見たり。
音のする方を見てみたところ、顔が青白く、目は眼窩の中に落ちくぼみ、(肉が無いので)肩が耳のあたりまで突出し、骨は細くなって柴のようになっているのが、身をそばだててそのキセルを持ち上げているのが見えた。
(あわわ)
斥之滅影。
これを斥(しり)ぞくるに、影を滅す。
そいつを押しのけてみると、ふ、とその姿は消えてしまった。
「幽霊だあ!」
すぐに主人を呼び出してこのことを告げると、主人が言うには、
無妨、鴉片鬼来過引、弗祟也。
妨ぐる無かれ、鴉片鬼の来たりて過引すなり、祟らず。
「放っておかれて結構です。アヘン吸引者の亡霊が来て「通りすがり吸引」をしているだけなので、何の障りもありません」
と。
ああ。
郭亮采が浙江の呉中に帰ってきたとき、わたし(←肝冷斎にあらず)はこの話を聞いたのである。
亮采は加えて言う、
不知、六道輪廻、鴉片鬼却従何道。
知らず、六道輪廻して、鴉片鬼は却って何道に従うやを。
「われらは天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・ジゴクの六道を輪廻し続けているというが、アヘン吸引者の亡霊はいったいどの道の範疇に入るんだろうか、わからんね」
わたし(←肝冷斎にあらず)は、
無以過引、亦是餓鬼。
過引を以てする無ければ、またこれ餓鬼ならん。
「通りすがり吸引ができないときは、餓鬼道にいるんでしょうけどね」
と答えたものであった。
近来鴉片之興、蔓延閩浙江南。曾作勧戒鴉片啓、附左。
近来鴉片の興るや、閩・浙・江南に蔓延す。かつて「鴉片を戒むるを歓むの啓」を作れり。左に附す。
近年、アヘンはさらに流行し、今や福建や浙江、江南地方にまで蔓延している。そこでわたし(←肝冷斎にあらず)は「アヘンの吸引を戒めるように勧める文」を書いて、あちこちに配った。その内容は以下のとおりである。
しかし肝冷斎ももう夜半となってまいりました。そろそろここにも出るかも知れませんので、以下はもう略させていただいて寝ます。
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清・朱海「妄妄録」巻九より。さあ、寝るぞ。もう永久に寝てもいいわけですが、とりあえず十日ぐらい寝るか。うっしっし。それではお休みなさい。