かつてぶた藩のあったぶた県地方に伝えられるこの絵は、ぶたとのに褒められるモグ侍の姿を描いて、ナマケモノなどのやる気を高めようとした教訓書であろうと推測される。
現世では、やる気を見せて、かつ、成果も上げねばならない、というのです。緊張感が強すぎて、ぶたとのやモグには生存できない環境である。
・・・・・・・・・・・・・・・
清の時代のひと退庵先生・梁章鉅のお話です。
―――わしの出身地は福建の福州であるが、
吾郷相伝有彭祖命長八百歳、七十猶是小孩児之語。
吾郷に相伝えて「彭祖命長くして八百歳、七十なおこれ小孩児」の語有り。
わたしの郷里では、みんな「古代の長寿者・彭祖(ほうそ)は長命で八百歳まで生きたのだ、七十のじじいはまだまだコドモ」ということを言う。
このコトバはたいへん古くあるコトバなのである。
試みに「全唐詩」を閲すると、陳嶠という人の詩が載っている。それによれば、
陳嶠暮年、僅獲一名還閩。近八十、以身後無依、強娶儒家女。
陳嶠は暮年にわずかに一名を獲て閩に還る。八十に近くして、身後の依る無きを以て、強いて儒家の女を娶れり。
陳嶠(ちんきょう)は老年になって、やっと科挙の一次試験にパスしただけで福建の地に帰ってきた。既に年齢は八十近くなっていたが、引退後に頼るべき子孫も無いことから、無理に読書人の家の娘を娶ることにした。
新婚の夕べ、福建の文士たちは集まってきて、詩の会を催した。
席上、陳嶠もまた一首を作ったが、その末句に云う、
彭祖尚聞年八百、 彭祖なお聞く年八百と、
陳郎猶是小孩児。 陳郎なおこれ小孩児。
彭祖のことは今なお年齢八百歳と伝えられる、
陳青年は、まるでまだまだ小さなコドモ。
と。
是唐時即有此語、今小変之耳。
これ、唐時に即ちこの語有り、今これを小変するのみ。
このとおり、唐の時代にこのコトバがあったのである。今のコトバはこれを少し言い換えたものに過ぎない。
・・・・・・・・・・・・・・・
「帰田瑣記」巻三より。長生きするには緊張感の無い人生の方がいい、と思われます。コドモも出来るカモ。