「ひよこうせん」でピヨ! 夏の空にはこんな爽やかなのも飛んでくるかも知れません。
今日はだいぶん夏らしい天気になってきました。夏になると体力無くなる。体力無くなって来たんで爽やかなお話をします。
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玄沙師備禅師のことは二年ぐらい前に出てきました(先々代の肝冷斎の時代ですね。先々代もいろいろ困って悩んでいたみたいだが、いったい先々代は何に悩んでいたのかなあ)。
その玄沙師備の弟子に羅漢桂琛(らかん・けいちん)という禅師がいたんで、今日はこのひとのお話です。めんどくさいので、コドモ禅師だったことにします。
・・・禅師のもとにある僧がやってきた。
禅師は訊ねた。
甚処来。
甚(なん)の処より来たる。
「どこから来まちたかな?」
僧答えて曰く、
報恩来。
報恩より来たれり。
「報恩山から来ました」
何不且在彼中。
何ぞしばらく彼の中に在らざる。
「もう少しそこにいればよろちかったのではないでしょうか」
僧家不定。
僧家は不定なり。
「出家僧でございますから、あちこちに行きます」
コドモ禅師は言った、
既是僧家、為甚么不定。
既にこれ僧家なり、甚(いかん)の不定を為す。
「なんと、もう出家僧になっているのに、それ以上どんなふうにあちこちに行くのでちゅかな?」
出家している以上、現実にどこにいたって、世俗の秩序を否定し、不定形の世界認識をしているはずなのである。
・・・次の僧が来ました。
禅師は訊ねた。
甚処来。
甚(なん)の処より来たる。
「どこから来まちたかな?」
僧、言う、
南方。
南方よりす。
「南の方から来ました」
南方知識有何言句示徒。
南方の知識、何の言句有りてか徒に示す。
「南の方のお師匠方は、どんなコトバでお弟子たちを教えておられるのでちょうか?」
彼中道、金屑雖貴、眼里着不得。
彼の中に道(い)う、「金屑は貴といえども、眼里には着し得ず」と。
「あちらではこんなコトバを聞きました。「黄金の粒は高価なものであるが、それを目の中に入れることはできない」と」
世俗の価値体系を前提にしていては、何も悟れない。世俗の秩序を否定せよ、というのである。
禅師は言った、
我道須弥在爾眼里。
我は道(い)わん、須弥、なんじの眼里に在り、と。
「おいらもおまえさんにコトバを与えてあげまちゅよ。「おまえさんの目の中には、須弥山が入っておりまちゅぞ」と」
世俗の秩序を否定せよ、と教えられているのにこちらにやってきてまた何かを学ぼうとするのかな? おまえさんは世俗を否定したとしても、またそこに価値体系を作ってしまっているのではないかな?
・・・また次のが来ました。
今度のは、
師挿田次、見僧。
師、挿田の次(ついで)に、僧を見る。
禅師が田植えの仕事をしているところにやって来た。
禅師は訊ねた。
甚処来。
甚(なん)の処より来たる。
「どこから来まちたかな?」
僧、言う、
南方。
南方よりす。
「南の方から来ました」
南方近日仏法如何。
南方、近日の仏法如何なる。
「南の方では最近、仏法はどんな感じでちゅかな?」
商量浩浩地。
商量すること浩浩地なり。
「たいへん広い世界のことを考えています」
争如我這裏、種田摶飯吃。
わが這裏(しゃり)の田に種(う)えて飯を搏(まる)めて吃うが如きに争(きそ)わん。
「ご覧のとおり、おいらのところの田んぼは苗を植えて、いずれ握り飯を作って食べることができまちゅ。これとどちらがいいでちゅかね?」
争奈三界如。
三界をいかにして争わん。
「仏教が考えているのは欲界・色界・無色界の三界、すなわち世界のすべて、です。それと、どう比較すればよろしいのでしょうか」
禅師は言った、
你喚甚么作三界。
你、甚(なに)を喚(よ)びて三界と作す。
「これこれ、おまえさんがおっしゃる三界とはどこのことでちゅかなー?」
世界のすべては目の前のここにある、ここにしかない、と言ってるんだと思います。
コドモでもこれぐらいのことは答えられるとは思うのですが、コドモなのに田植えをしてハタラいているのは、エライでちゅねー。
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ちょっと飽きてきたのでここまでにいたします。「聯灯会要」巻二十六より。こんなのもいいと思うのですが、目の前の問題の答えには全くならないのが困ります。