「おめえら智慧を出しな」「ホッホー」「ゲロゲロ」「ぶう」「ちゅう」智慧が出るはずがないのであった。
明日はシゴトでかなりの難問が待っていることが判明した。賢者ならこれを避けて行方をくらますだろうレベルである。
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これ↓は、難問でしょうか。
唐の世の末のころ、雪峯義存禅師、衆僧に言う、
要会此事、猶如古鏡当台、胡来胡現、漢来漢現。
このことを会せんと要せば、なお古鏡の台に当たるがごとく、胡来たらば胡を現じ、漢来たらば漢を現ぜよ。
―――この大切なことを理解しようとするならば、古代のぴかぴかの鏡が台に載せられているようにすることじゃな。異民族のやつが来たら異民族のやつの顔を映し出す。漢民族のやつが来たら漢民族のやつの顔を映し出すのだ。
時に、弟子の中から玄沙師備禅師が進み出て、問う、
忽遇明鏡来時如何。
忽ちに明鏡の来たるの時に遇わば、如何。
―――そこへ突然、ぴかぴかの鏡がやってきたら、どうするのですか。
鏡が鏡を映すのか。「明鏡」は自分の中の「仏性」をいうと解される。
雪峯禅師、ぎろりとにらんで、答えて曰く、
胡漢倶隠。
胡漢ともに隠る。
―――異民族のやつも漢民族のやつも映らない。
玄沙曰く、
老和尚脚跟猶未点地在。
老和尚、脚跟なおいまだ地に点せざる在り。
―――じじい和尚どの、足さきがまだきちんと地面についておられないのでは?
雪峯禅師、ぎろりとにらんで、無言。
以上、「五灯会元」巻七・玄沙師備章より。
ところで、「聯灯会要」という本にはこの続きが書いてあります。
・・・玄沙師備はコトバを継いで言う、
某甲即不然。
某甲は即ちしからず。
―――それがしは、そうではありません。
雪峯禅師、曰く、
你作麼生。
你、作麼生(そもさん)。
―――おまえ、何がいいたいのだ?
玄沙曰く、
請和尚問。
請うらくは、和尚問わんことを。
―――和尚が訊いてくれたら答えますよ。
ふむ。
そこで、雪峯禅師、ぎろりとにらんで曰く、
忽遇明鏡来時如何。
忽ちに明鏡の来たるの時に遇わば、如何。
―――そこへ突然、ぴかぴかの鏡がやってきたら、どうするのじゃ。
玄沙曰く、
百雑砕。
百雑に砕けん。
―――ばらばらに砕け散ってしまいます。
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以上。「正法眼蔵」巻十九より。「笑点」の「大喜利」みたいなスタイルですが、答えが出たんだからそんなに難しい問題ではなかったようです。これで正解なのかどうかわからんけど。
いずれにせよ、明日おいらが直面する難問に比べれば、大したことないだろうさ。