昨日更新しなかったので時宜を外してしまった画である。この画にはいろいろ不完全なところがあるが、しかしカンペキなものより欠点があるほうが「道」に近いものである。
我が一族はすべて現世から離れたので問題ないんですが、現世のひとには明日からまた平日のひともいるようです。お疲れ様です。
平日を乗り切るのは、体調管理が重要ですよ。
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前漢の斉国に仕えた淳于意は、本職は倉庫係でしたが、医術に通じていたので、淳于一族で司馬になっていた人が体調が悪いといって、その診断を受けた。
脈を診た淳于意は、
「これは迵風(とうふう)の疾です」
と診断した。
病得之飽食而疾走。
病、これを飽食して疾走するに得ん。
「はらいっぱい食ったあとに速く走ると、この病気になるんです」
「なるほど」
淳于司馬は感心して言いました、
我之王家食馬肝、食飽甚。見酒来、即走去、駆疾。至舎、即泄数十出。
我、王家に之きて馬肝を食らい、食いて飽くこと甚だし。酒の来たるを見て即ち走り去るに駆けること疾し。舎に至るに、即ち泄して数十出す。
「わしは王さまのところへ行ったとき、馬のレバーが出てきて、これを食った。とにかく食い過ぎてすごい腹が苦しくなった。そこに酒が出てきたのを見て、(これ以上はもうムリじゃ、と思い)逃げ出して走って帰ってきたのだが、その速度はたいへん速かった。家に帰ってきたら、すぐに数十回も排泄してしまった。
それから体調を崩したのである。おまえさんの診断どおりのようじゃ」
そこで、淳于意は
「お粥だけ食べてれば七日から八日程度で治ります」
と治療法を教えたのであった。
ところが、本職の医師である秦信というひとが、淳于司馬の診察に来た。
脈をとったあと、かなり深刻な顔をしている。
「淳于意は「迵風の病である、米の粥を食っていれば治る」と言っておったが・・・」
と聞いて、
信即笑曰、是不知也。淳于司馬病、法当後九日死。
信すなわち笑いて曰く、「これ知らざるなり。淳于司馬の病、法としてまさに後九日に死すべし」と。
秦信はすぐに「ああ、そんなことを言ってましたか」と苦々しげに笑うと、
「(だからシロウト診断は危険なのです。迵風の病には違いないが)彼にはそれ以上わからなかったのでしょう。淳于司馬どのの病は、医法からみて、放っておけばあと九日で死んでしまうほど重いものです」
と言った。
「ええー!」
と驚いた。
しかし、
後九日不死。
後九日するも死せず。
九日経っても死ななかった。
また淳于意がやってきて、まだ治っていないと聞くと、「お粥を食べておられますか」と訊いた。
「いや、たいへんな重病だと聞いたので、食事を摂らずに薬だけ服用しているのじゃ」
淳于意曰く、
爲一火斉米汁使服之。
一に火斉して米汁を爲(つく)り、これを服さしめよ。
「とにかく火力を調整して、米のお粥を作って食べさせることですよ」
そうしたところ、
七八日病已。
七八日にして病已む。
ほんとに七日から八日したら、病気は治ってしまった。
そこで淳于意に、「どうして本職の秦信は過ち、あなたは正しかったのか」と問うたところ、
診其脈時、切之、尽如法。其病順、故不死。
その脈を診る時、これを切すればことごとく法の如し。その病順なり、故に死せず。
「司馬どのの脈を診察したとき、ぎりぎりと考えれば、確かに医法による判断どおり(で、秦信どのの診断で正しかったの)ですが、病状の進行が早かったので(、これだけ進行がはやければ)、死ぬには至るまい、と判断したのです」
と言った。
そうです。
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「史記」巻百五「扁鵲倉公列伝」より。この巻は春秋時代の伝説の名医・扁鵲の診断・治療法と、前漢の淳于意の診断・治療法の実例がたくさん書いてあります。「倉公」というのが「倉庫係の淳于意」のことです。名医・扁鵲はその術があまりに素晴らしかったので、ライバルによってコロされてしまったのですが、倉公・淳于意は一部のひとに知られているだけであまり目立つことをしなかった。
太史公(司馬遷)曰く、
美好者不祥之器、豈謂扁鵲等邪。倉公者可謂近之矣。
美好なるものは不祥の器なり、とは、あに扁鵲等を謂うならんや。倉公はこれに近しと謂いつべし。
「立派なもの・よくできているもの、は、実は不幸になるのである」と(老子が言っているの)は、扁鵲たちのことを言っているのではないだろうか。(そうではない)倉公・淳于意こそ、(老子のいう「道」に)近いひとであったということができるであろう。
と。
おいらも現世から離れ、だいぶん道に「近いひと」になってきました。みなさんも真似するといいですよ。うっしっし。