すぐに影響されるやつが一定数いるものの、なかなか全体としては変わらないものである。
しばらくこの世から離れていました。何か変わったことはありましたでしょうか。まさか何も変わっていない、ということはないでしょうね。
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しばらくこの世から離れている間に、↓ここにも行ってみましたが、これはゲンダイのどこの国のどこの町のことでしょうか。
安見知之吾大王乃在通名庭乃宮者、不知魚取海片就而、玉拾浜辺乎近見、朝羽振波之声参※、夕薙丹櫂合之声所聆、暁之寐覚爾聞者、海石之塩干之共、汭渚爾波千鳥妻呼、葭部爾波鶴鳴動、視人乃語丹為者、聞人乃視巻欲為、御食向味原宮者雖見不飽香聞。 ※の字は、ほんとうは足偏がついてます。「𧾷参」という字。
むむむむ・・・。
ようく見てみると、「在通名庭乃宮」と「御食向味原宮」という二つの「宮」名が書かれていますが、「不知魚」とはどういう魚であろうか、とか、「玉拾浜」とか気になります。
むむむむ・・・。眼光紙背に徹して艱難辛苦、読書百遍すれば精神統一何事からならざらんはず。
しかしどうやってもこれ以上読めないので、塚本哲三先生(旧制高校の国語系受験参考書を多数著したので有名な先生)の校訂によって読んでみます。
やすみししわがおほぎみの
ありかよふなにはのみやは
いさなとりうみかたつきて
たまひろふはまべをちかみ
あさはふるなみのとさわぎ
ゆふなぎにかぢのときこゆ
あかときのねざめにきけば
あまいしのしほひのむた
うらすにはちどりつまよび
あしべにはたづなきとよみ
みるひとのかたりにすれば
きくひとのみまくほりする
みけむかふあじふのみやは
みれどあかぬかも
わーい。なんだこれは。呪文でしょうか。
むむむむ・・・。
これを十回ぐらい読んでつらつら考えるに、こういうことではないかと思います。
ゆったりと国をご覧になっている(←枕詞)我れらが大王さまの
何度も行幸なされたナニワの宮は、
魚をとることのできる海のそばであり、
タマを拾うことのできる浜辺の近くである。
朝は鳥が羽を振るように寄せて来る波の音がうるさいぞ、
夕べの凪のときには舟の梶のぎいぎいという音が聞こえてくるぞ。
夜明け前に眠りから覚めたときに耳を澄ませば、
海が近いので潮の満ち引きとともにあるのがわかるのだ。
浦の中洲には千鳥がその配偶者と呼びかわす声が聞こえ、
葦の生えた水辺には鶴の群れがぎゃあすかと鳴き騒ぎ、
これを見たひとがそのすばらしさをコトバで伝えると、
それを聞いたひとが見たくてしかたがなくなるような、
食い物が集まってくる(←枕詞)アジフの宮は
何度見ても飽きないものだなあ。
ということで、日本国大阪府大阪市、安治川のほとりの難波の宮、のことでしたー。
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「萬葉集」(大正四年有朋堂)巻六「田辺福麻呂歌集中歌」より。
万葉仮名は我々現代ニンゲンのさかしらな常識を突き崩してくれるのでスバラシイですが、それにしても「不知魚」が「いさな」で「魚のこと」だというのには畏れ入った。勉強になりました。