気温があがり、ムシたちもうごめき始めた。季節はのどかな春であるが・・・。
月曜日が終わっただけだが、もう今週の力尽きた感じである。なお、結局昨日も延べ二時間を要してアップしました。今日はほんとに30分で止めます。
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南宋の時代のことです。
放翁・陸游先生のお話を聞きます。
わしの友人の謝景魚は、
家有陳無己手簡一編、有十余帖。
家に陳無己の手簡一編、十余帖有り。
代々の家宝として、北宋の陳無己の手紙十通余りを一冊に編集したものを持っていた。
「へー、そうなんですか」
陳無己は北宋の後山居士・陳師道(1054〜1101)。蘇東坡の弟子で、黄庭堅と並ぶ詩の名手だったが、王安石らの新法党に反対の立場をとったので政治的には不遇で、貧乏で上着が買えなくて風邪をこじらせて死んだ、というひとです。そのひとからの手紙は、文人たちにとってはかなり高い価値のあるものであり、それが何通もある、というのは、謝景魚の家が代々の文化人の家である証拠でもあった。
ところが、謝景魚は、
皆与酒務官托買浮炭者。其貧可知。
みな酒務官に与え、托して浮炭なるものを買う。その貧なること知るべきなり。
それをすべて酒(や木炭等)の専売を掌る役人に渡し、それと引き換えに「浮炭」というものを売ってもらった。(文人の手紙を持っていても寒さは防げないので、炭に換えたのだ。)その貧乏さが理解できよう。
「へー、そうなんですか」
ところで、「浮炭」というのがどんなものか、知っておるかな?
浮炭者、謂投之水中而浮。
浮炭なるものはこれを水中に投ずるに浮くを謂う。
「浮炭」というのは、水の中に放り込んでも浮く(ようなスカスカの安物の)炭なので、「浮炭」というのじゃ。
「へー、そうなんですか」
ところが、
今人謂之麩炭、恐亦以投之水中則浮故也。
今人これを「麩炭」と謂う、恐るらくはまたこれを水中に投ずれば浮く故を以てならん。
ゲンダイのやつらはこれを「麩炭」と言っている。(同じ「フタン」であるが。)しかしこれも、水の中に放り込んでもぷかぷか浮いているのが「麩」のようである、ということから名づけられたものであろう。
結局同じ意味なんじゃなあ、わははは。
「へー、そうなんですか」
白楽天の詩に、
日暮半炉麩炭火。 日暮れて半炉に麩炭の火あり。
日が暮れて、いろりには安物の麩炭の火がやっと半分ばかり燃えている。
という句がある。白楽天は今(南宋)から400年も前の人だから、
其語亦已久矣。
その語、またすでに久しきかな。
「麩炭」というコトバも、実はずいぶん昔から使われているコトバなんじゃなあ。
わははは。
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「老学庵筆記」巻六より。いかにも老先生の取り止めの無いお話で、こちらは「へー、そうなんですか」とでも相槌打ってるしかない長閑な感じですね。
一方、我が肝冷斎一族は現在人生に追い込まれつつあり、あと四日も「へー、そうなんですか」と言ってられるような状況ではないのである。ああ、もうおしまいだあー。