平成30年3月26日(月)  目次へ  前回に戻る

気温があがり、ムシたちもうごめき始めた。季節はのどかな春であるが・・・。

月曜日が終わっただけだが、もう今週の力尽きた感じである。なお、結局昨日も延べ二時間を要してアップしました。今日はほんとに30分で止めます。

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南宋の時代のことです。

放翁・陸游先生のお話を聞きます。

わしの友人の謝景魚は、

家有陳無己手簡一編、有十余帖。

家に陳無己の手簡一編、十余帖有り。

代々の家宝として、北宋の陳無己の手紙十通余りを一冊に編集したものを持っていた。

「へー、そうなんですか」

陳無己は北宋の後山居士・陳師道(1054〜1101)。蘇東坡の弟子で、黄庭堅と並ぶ詩の名手だったが、王安石らの新法党に反対の立場をとったので政治的には不遇で、貧乏で上着が買えなくて風邪をこじらせて死んだ、というひとです。そのひとからの手紙は、文人たちにとってはかなり高い価値のあるものであり、それが何通もある、というのは、謝景魚の家が代々の文化人の家である証拠でもあった。

ところが、謝景魚は、

皆与酒務官托買浮炭者。其貧可知。

みな酒務官に与え、托して浮炭なるものを買う。その貧なること知るべきなり。

それをすべて酒(や木炭等)の専売を掌る役人に渡し、それと引き換えに「浮炭」というものを売ってもらった。(文人の手紙を持っていても寒さは防げないので、炭に換えたのだ。)その貧乏さが理解できよう。

「へー、そうなんですか」

ところで、「浮炭」というのがどんなものか、知っておるかな?

浮炭者、謂投之水中而浮。

浮炭なるものはこれを水中に投ずるに浮くを謂う。

「浮炭」というのは、水の中に放り込んでも浮く(ようなスカスカの安物の)炭なので、「浮炭」というのじゃ。

「へー、そうなんですか」

ところが、

今人謂之麩炭、恐亦以投之水中則浮故也。

今人これを「麩炭」と謂う、恐るらくはまたこれを水中に投ずれば浮く故を以てならん。

ゲンダイのやつらはこれを「麩炭」と言っている。(同じ「フタン」であるが。)しかしこれも、水の中に放り込んでもぷかぷか浮いているのが「麩」のようである、ということから名づけられたものであろう。

結局同じ意味なんじゃなあ、わははは。

「へー、そうなんですか」

白楽天の詩に、

日暮半炉麩炭火。 日暮れて半炉に麩炭の火あり。

 日が暮れて、いろりには安物の麩炭の火がやっと半分ばかり燃えている。

という句がある。白楽天は今(南宋)から400年も前の人だから、

其語亦已久矣。

その語、またすでに久しきかな。

「麩炭」というコトバも、実はずいぶん昔から使われているコトバなんじゃなあ。

わははは。

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「老学庵筆記」巻六より。いかにも老先生の取り止めの無いお話で、こちらは「へー、そうなんですか」とでも相槌打ってるしかない長閑な感じですね。

一方、我が肝冷斎一族は現在人生に追い込まれつつあり、あと四日も「へー、そうなんですか」と言ってられるような状況ではないのである。ああ、もうおしまいだあー。

 

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