ほけきょが鳴くと、むかしの春も思い出されるサァ。
週末なのでのどやかで、シアワセな気分である。
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宋の時代のことです。
万松嶺の恵明院に蘇東坡先生がお見えになられたので、梵英禅師がお茶を出しました。
お茶を啜りながら先生がおっしゃりましたことには、
予去此十七年、復来。
予、ここを去ること十七年にしてまた来たる。
―――わしがこの寺に来ましたのは、十七年ぶりですなあ。
わしはもちろんじゃが、禅師も年をとりなさったようじゃ。
―――それはそうでござろう。
―――ははは。
ところで、
茗飲芳烈、問此新茶耶。
茗飲むに芳烈なり、これ新茶なりやと問わん。
―――いただいたお茶の香りの強いこと。これは今年新たに採れた茶なのですかな。
―――いやいや。
と禅師は答えた。
―――古い茶にほんの少し、今年の茶を混ぜました。
茶性新旧交、則香味復。
茶の性は新旧交われば、香味復す。
茶というものは、古いものに新しいものを少し混ぜてやりますと、古いものに香りが戻ってくるものなのです。
先生が頷いて、そして言いますには、
予嘗見知琴者。
予かつて琴を知る者を見る。
―――わしは以前、琴について詳しい、というひとと会ったことがある。
その人の言うことには、
琴不百年、則桐之生意不尽、緩急清濁、常与雨晴寒暑相応。
琴は百年ならずんば、桐の生意尽きず、緩急清濁、常に雨晴寒暑と相応す。
「琴というのは、製作されてから百年間は、音の緩急・清濁が、どうしても天候や気候によって変化するものなんです。なぜなら、その間ぐらいは材料の桐の木がまだ「生きている」もんですからね」
と。
此理与茶相近。
この理、茶と相近し。
―――このお話と先ほどのお茶の話、少し似ているように思いますね。
古いものにも「生きている」期間がある、ということである。茶の場合は、その間に新しいものが混ざると元の香りを取り戻すという。
だから、十七年を隔てて再訪したことで、そのころの感慨がより深みを増したのも当然なのである。
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蘇東坡「東坡題跋」より「題万松嶺恵明院壁」(万松嶺の恵明院の壁に題す)。昨日四十年前のひとたちに会いましたので、昨日会っている間はそうでも無かったのですが、今日になるとそのころのことがもっと鮮やかに思い出されて、我が老眼に涙もにじむというものである。