平成30年3月10日(土)  目次へ  前回に戻る

ほけきょが鳴くと、むかしの春も思い出されるサァ。

週末なのでのどやかで、シアワセな気分である。

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宋の時代のことです。

万松嶺の恵明院に蘇東坡先生がお見えになられたので、梵英禅師がお茶を出しました。

お茶を啜りながら先生がおっしゃりましたことには、

予去此十七年、復来。

予、ここを去ること十七年にしてまた来たる。

―――わしがこの寺に来ましたのは、十七年ぶりですなあ。

わしはもちろんじゃが、禅師も年をとりなさったようじゃ。

―――それはそうでござろう。

―――ははは。

ところで、

茗飲芳烈、問此新茶耶。

茗飲むに芳烈なり、これ新茶なりやと問わん。

―――いただいたお茶の香りの強いこと。これは今年新たに採れた茶なのですかな。

―――いやいや。

と禅師は答えた。

―――古い茶にほんの少し、今年の茶を混ぜました。

茶性新旧交、則香味復。

茶の性は新旧交われば、香味復す。

茶というものは、古いものに新しいものを少し混ぜてやりますと、古いものに香りが戻ってくるものなのです。

先生が頷いて、そして言いますには、

予嘗見知琴者。

予かつて琴を知る者を見る。

―――わしは以前、琴について詳しい、というひとと会ったことがある。

その人の言うことには、

琴不百年、則桐之生意不尽、緩急清濁、常与雨晴寒暑相応。

琴は百年ならずんば、桐の生意尽きず、緩急清濁、常に雨晴寒暑と相応す。

「琴というのは、製作されてから百年間は、音の緩急・清濁が、どうしても天候や気候によって変化するものなんです。なぜなら、その間ぐらいは材料の桐の木がまだ「生きている」もんですからね」

と。

此理与茶相近。

この理、茶と相近し。

―――このお話と先ほどのお茶の話、少し似ているように思いますね。

古いものにも「生きている」期間がある、ということである。茶の場合は、その間に新しいものが混ざると元の香りを取り戻すという。

だから、十七年を隔てて再訪したことで、そのころの感慨がより深みを増したのも当然なのである。

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蘇東坡「東坡題跋」より「題万松嶺恵明院壁」(万松嶺の恵明院の壁に題す)。昨日四十年前のひとたちに会いましたので、昨日会っている間はそうでも無かったのですが、今日になるとそのころのことがもっと鮮やかに思い出されて、我が老眼に涙もにじむというものである。

 

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