形あるものはすべて変じていくのでぶ。無為無能こそあるべき姿なり。
三日も会社に行ったのに、まだ水曜日。眠いし、もう考えたり記憶する力は限りなく無に近づいてきた。
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北宋の初めごろ、太平興国七年(982)のことでございますが、
洛中大水、室廬多漂没。
洛中大水し、室廬多く漂没す。
洛陽の町に大水が出て、家とか小屋が多数漂流したことがあった。
「うわーい」
このとき、宋初の文人・銭若水先生も洛陽にいてこの洪水に巻き込まれたが、幸い何とか無事であった。
水が引いてから、
屋木猶在者視書屋牀榻尚在、無復巻冊。
屋木なお在る者、書屋を視るに、牀・榻なお在るも、また巻冊無し。
屋根の木がまだ残っている家があったので、そこの書斎らしき部屋を覗いたところ、ベッドも長椅子も残っているのだが、書物は一巻一冊も残っていなかった。
部屋の中には、どういうわけか、たくさんのキノコが生えている。
「なんでこの部屋にだけ、こんなにキノコが生えているのかな?」
熟視尚有墨痕文字。
熟視するになお墨痕文字有り。
つらつらキノコを見てみるに、その表面に、墨で書かれた文字の痕が残っていた。
可識蓋楮之変也。悉化為菌。
識るべし、けだし楮の変なることを。悉く化して菌と為る。
「わかりました! 紙の原料であるコウゾが変じて、ことごとくキノコになったのですなあ」
若水先生が目の当たりにしたことであるから、信じざるを得ない。
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宋・楊億述・黄鑑録「楊文公談苑」より(「事実類苑」巻六十一所収)。
考えるのめんどくさいから、信じざるを得ない。だとするとキノコ食べると書いてあること覚えて賢くなれるかも。