平成30年2月21日(水)  目次へ  前回に戻る

形あるものはすべて変じていくのでぶ。無為無能こそあるべき姿なり。

三日も会社に行ったのに、まだ水曜日。眠いし、もう考えたり記憶する力は限りなく無に近づいてきた。

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北宋の初めごろ、太平興国七年(982)のことでございますが、

洛中大水、室廬多漂没。

洛中大水し、室廬多く漂没す。

洛陽の町に大水が出て、家とか小屋が多数漂流したことがあった。

「うわーい」

このとき、宋初の文人・銭若水先生も洛陽にいてこの洪水に巻き込まれたが、幸い何とか無事であった。

水が引いてから、

屋木猶在者視書屋牀榻尚在、無復巻冊。

屋木なお在る者、書屋を視るに、牀・榻なお在るも、また巻冊無し。

屋根の木がまだ残っている家があったので、そこの書斎らしき部屋を覗いたところ、ベッドも長椅子も残っているのだが、書物は一巻一冊も残っていなかった。

部屋の中には、どういうわけか、たくさんのキノコが生えている。

「なんでこの部屋にだけ、こんなにキノコが生えているのかな?」

熟視尚有墨痕文字。

熟視するになお墨痕文字有り。

つらつらキノコを見てみるに、その表面に、墨で書かれた文字の痕が残っていた。

可識蓋楮之変也。悉化為菌。

識るべし、けだし楮の変なることを。悉く化して菌と為る。

「わかりました! 紙の原料であるコウゾが変じて、ことごとくキノコになったのですなあ」

若水先生が目の当たりにしたことであるから、信じざるを得ない。

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宋・楊億述・黄鑑録「楊文公談苑」より(「事実類苑」巻六十一所収)。

考えるのめんどくさいから、信じざるを得ない。だとするとキノコ食べると書いてあること覚えて賢くなれるかも。

 

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