平成30年2月22日(木)  目次へ  前回に戻る

こうやって毎晩毎晩泣き寝入りさせられていたら、意欲はもちろん、感情だって無くなってしまうであろう。

木曜日。意欲ははじめから無いが、すでに感情も無くなってきた。

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おお、王さま(※)。王さまは、魯の公甫文伯(こうほぶんぱく)の母のお話を御存じですかな? ご存知でございましょうけれど、わたくし(※※)の知るところを述べさせていただきましょう。

※この「王さま」は、戦国時代の趙の孝成王(在位前265〜前245)というひとです。「わたくし」は、楼緩というひとです。最近、秦から趙に来ました。

―――公甫文伯は孔子より少し後輩で、同じころ魯に仕えていたが、病気で亡くなった。このとき、

女子為自殺於房中者二人。

女子の、為に房中に自殺する者、二人あり。

彼の家庭で、彼に殉じて自殺した女性が二人いた。

文伯の母は、それを聞いて、文伯のために声をあげて泣く「哭礼」をしてやらなかった。

それで、母の付き人が言った、

焉有子死而弗哭者乎。

いずくんぞ子の死して哭せざる者有らんや。

「どこの世界に、自分の子どもが死んだというのに、声をあげて泣いてやらない者がいますか」

すると母は答えた。

孔子賢人也。逐於魯、而是人不随也。今死而婦人為之自殺者二人。

孔子は賢人なり。魯に逐われしに、この人随わざるなり。今死して婦人これがために自殺する者二人あり。

「孔子さまは賢者でございましょう。ところが、その孔子さまが魯から追放されたとき、このひと(文伯のことである)は後に従って一緒に亡命することも無く、魯の国に仕えたままでした。それなのに、今度このひとが死にましたら、このひとのために女が二人も自殺しました。

若是者、必其於長者薄、而於婦人厚也。

かくのごとき者は、必ずそれ長者に薄く、而して婦人に厚きなり。

これを見ますと、このひとは立派なひとには薄っぺらな付き合いしかせず、一方、女性への気遣いは懇ろだったのでしょうね」

そんな者のために声を挙げて泣く礼をとる必要はないのだ、というのである。

・・・このお話から、公甫文伯の母は賢母であった、といわれております。

まったくそうでございましょう。しかし、如何でございましょうか。

従母言之、是為賢母。従妻言之、是必不免為妬妻。

母よりこれを言えば、これ賢母なり。妻よりこれを言えば、これ必ず妬妻なるを免れず。

母という立場からそう言ったのであれば、我が子の不道徳を叱った立派な母親だ、ということになりますが、もし彼女が妻だったとすると、他の女性に殉死してくれるほどの気遣いをしていた夫への嫉妬の言葉だ、と思われてしまいましょう。

故其言一也。言者異、則人心変矣。今、臣新従秦来。而言勿予、則非計也。言予之、恐王以臣為為秦也。故不敢対。使臣得為大王計、不如予之。

もとそれ言は一なり。言う者異なれば、すなわち人心変ず。今、臣は新たに秦より来たる。而して予(あた)うるなかれというは、すなわち計にあらざるなり。これに予(あた)えよと言わば、恐るらくは王、臣を以て秦のためにすと為さん。故にあえて対さず。臣をして大王のために計るを得しめば、これに予うるにしかざるなり。

たとえコトバは同じであっても、違う立場のひとから言われれば、それを聴いた者が持つ評価は変わってくるものでございます。

ところで、王さまは、秦から六つの都市を割譲するように要求されて、どう対応されようか悩んでおられるとのこと。しかし、

わたくしは最近になって秦からやって来たという立場の者でございます。そのわたしが「秦に割譲してはなりません。(あくまでも断って秦と戦って、敗れてもいいではありませんか)」と言えば、(王さまはわたくしが秦の肩を持たないことを評価してくださるかも知れませんが、)それは取るべき方策とは思えません。一方で、「ここは秦の要求どおり割譲して平和を保ち、力を蓄えるべきです」と言えば、王さまは「こいつは秦から来たばかりだから秦の肩を持つのであろう」とお思いになられるでしょう。それで、わたくしはお答えができないのです。しかし、もし、わたくしが大いなる王さまのためにとるべき方策を申し上げてよろしいのであれば、秦の要求を容れて割譲してしまうのがよろしいかと思います。

「なるほど」

と言いまして、趙王は楼緩の進言どおりにすることにした・・・・・・・

のですが、以前から

「秦の言うことを聴いてはならない、逆に、秦のライバルである斉に割譲して同盟を結ぼうという意志を見せれば、秦の方から条件を下げてきます」

と主張していた虞卿が飛んできまして、趙王を再度説得しました。趙王が虞卿の策のとおりに、斉に割譲を持ちかけよう、として使者を斉に送ったところ、その使者が国境を超える前にその情報を得た秦の使者がやってきて、六都市の割譲要求を取り下げ、和平を結ぶことを提案してきた。

楼緩聞之亡去。

楼緩、これを聞きて亡去せり。

楼緩はこの状況を知って、(自分の工作が失敗したのを覚って)秦に逃亡してしまったのであった。

ということです。

公甫文伯の母は賢母かどうか、の前に、スパイには気をつけないといけません、というお話でした。

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「史記」巻七十六「虞卿列伝」より。「戦国策」に出る「トラの威を借りるキツネに気をつけましょう」のお話も、王さまに権力を持つ重臣への怒りを持たせ、これを退けさせて外交関係を転換させよう、というスパイの使ったレトリックだ、と、何度も申し上げておりますが、みなさん「トラの威を借るキツネ」という故事成語だけ覚えて「わっはっは、わしは知っとるよ」と満足してしまうのですから、わたしもみなさんにいろいろ教える意欲も感情も無くなってきました。明日からしばらく、更新中断しますわー。

 

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