炭水化物を動力源とする最新型ぶた自動車。これに乗って、さあ、出かけよう、無の世界へ。
今日も寒かった。腹減斎は本日で社会生活から脱落します。
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唐の時代のことでございます。広東韶州出身の僧・悟新は江西・洪州の黄龍寺に住持する祖心禅師のもとに赴いたそうなんです。
禅師と会話した悟新、
「まったくです」「わたしもそう思ってました」「そうですよね」
と、
無所抵捂。
抵捂(ていご)するところ無し。
食い違うところが何も無かった。
祖心禅師は無表情に言った、
若之伎、止是耶。是如説食、詎能飽人。
なんじの伎、これに止まるか。かくのごとく説き食らえば、なんぞよく人を飽かさん。
「おまえがやれることは、これだけなのか。こんなふうにコトバを食っていても、腹いっぱいになることは絶対に無いぞ」
食い違え、というのである。
「うう・・・」
悟新は行き詰まってしまい、
某甲已弓折箭尽、願和尚慈悲、指个安楽処。
某甲(むこう)すでに弓折れ箭尽く、願わくば和尚の慈悲もて个(こ)の安楽処を指さんことを。
「わ、わたしはもうここまでで、力を使い果たし、弓も折れ矢も尽きました。どうか和尚様のお慈悲で、どこか心の安らぐところをお教えくださいませ」
祖心禅師は、やはり無表情に、払子を手にしながら言う、
一塵飛而翳天、一芥堕而覆地。安楽処正忌上座許多骨董。直須死却無量劫来全心始得。
一塵飛びて天を翳らせ、一芥堕して地を覆う。安楽処はまさに許多の骨董に上座するを忌む。ただにすべからく無量劫来の全心を死却して、始めて得べし。
一片のチリが飛び上がって天を真っ暗にしてしまうことがあり、一粒のゴミが落ちて大地を覆ってしまうことがある(わずかなことが除き切れずに全てがわからないことがあるのだ)。心の安らぐところというのは、いろんな古い物の上に胡坐をかいているうちはどこにも見つからない。とにかく、遥かいにしえより、何度も何度も輪廻してきたおまえのあらゆる心意を殺しきってしまえ。そうすればやっと行きつくことができるであろう」
「うひゃあ」
悟新は禅師の前から逃げ出した。
・・・悟新は黄龍寺で修行することになりました。
それから何か月かして、
一日黙坐下板、会知事捶行者、聞杖声、忽然大悟。
一日下板に黙坐するに、知事捶行者に会い、杖声を聞きて忽然として大悟す。
ある日、座禅部屋で黙って座禅を組んでいたとき、杖で叩く係の僧がやってきた。その杖の音を聞いて、突然に「悟った」。
「そういうことか!」
奮起、忘納其屨、趨方丈見心。
奮起し、その屨を納むるを忘れ、方丈に趨りて心を見る。
すごい勢いで立ち上がると、傍らに揃えて置いてあったはきものをしまうことも忘れて、祖心禅師のいる部屋に走っていき、禅師に面会を求めた。
禅師が無表情に面会すると、悟新は自らを指さして言う、
天下人総是学得底、悟新是悟得底。
天下の人、すべてこれ学び得るの底(もの)、悟新はこれ悟り得るの底となせり。
「みなさまが学んで得ておられるを、今しがたこの悟新めは、一気に理解し得ました!」
「そうか、わかったか」
一瞬顔をほころばせかけた禅師だが、すぐに言った。
選仏甲科、何可得也。
選仏の甲科、何を得べけんや。
「仏法の悟りの道に、「得る」などということは無いのだがな」
悟新答えて曰く、
「まったくです。わたしもそう思ってました」
禅師は初めて、「呵々」と大笑したそうでございます。
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「聯燈会要」巻第十五「黄龍悟新禅師」条より。悟新はその後祖心禅師の嗣法の弟子として、黄龍寺の住持を嗣ぐことになるのですな。
悟新禅師曰く、
幾度黒風翻大海、未曾聞道釣舟傾。
幾度か黒風の大海を翻すとも、いまだ道(い)うを聞かず釣舟傾けりとは。
何度も暗黒の風が大海原をひっくり返したとしても、そこに浮かぶ釣り船が傾いた、などとは聞いたこともない。
自分の無であることを理解すれば、外界にどんな大きな変化があっても、自分を失うことない。自分が無ければ自分は失われないのであります。
・・・などのことを考え合わせまして、腹減斎も世俗社会から無になることにいたしました。あとは誰が更新するのかな。