肥満は雪だるま式になされる。しかし雪のようには融けず、根雪化していくのである。
ツラい社会を一年生き抜きました。自分を誉めてやらねばならぬの時期なのですが、しかしもう来年のことが不安でたまりません。不安のほとんどはシゴト関係で、一部がふるさと納税したのでその手続きをしなければ、あわあわ、という漠然たる不安である。
こんなときは、无能子(むのうし。無能先生)の教えを受けてみよう。
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・・・と思って先生のところに行きますと、
无能子貧、其昆弟之子且寒而飢、嗟吟者相従焉。
无能子貧しく、その昆弟の子、まさに寒にして飢え、嗟吟する者相従えり。
無能先生の家は貧乏で、その家には兄弟の子(甥っ子)たちが寒さに凍え、餓えに苦しみ、「ああ」と嘆きの声をあげながら弟子として付き従っていた。
甥の中でも年長の通というのが、先生に言った。
嗟寒吟飢有年矣。夕則多夢禄仕、而豊乎車馬金帛。夢則楽、寤則憂。何可獲置其易哉。
寒を嗟し飢を吟ずること年有り。夕されば多く禄仕して車馬金帛を豊かにするを夢む。夢むればすなわち楽しく、寤(さ)むれば憂う。何ぞ置きてそれ易(か)うるを獲べけんや。
「寒さに嘆き、飢えに声をあげることがもう何年も続いています。夜になると、わたしはよく権力者に仕えて給与をもらい、かっこいい馬車や金銀や絹がたっぷりある状態を夢に見ますが、夢見ている間は楽しいのに、目が覚めるとまたツラい日々です。なんとかして昼と夜をひっくり返すことができないものでしょうか・・・」
「ほう・・・」
先生は言った。
昼憂夕楽、均矣。何必易哉。
昼憂い夕は楽しければ均しきなり。何ぞ必ず易(か)えんや。
「昼がツラくて夜が楽しい、というのなら半分づつではないか。どうしてひっくり返さねばならぬのかな?」
通は言った。
夕楽夢爾。
夕の楽しきは夢なるのみ。
「夜は楽しい、と言いましてもただの夢ですよ」
「ほう・・・
夫夢之居屋室、乗車馬、被衣服、進飲食、悦妻子、憎仇讎、憂楽喜怒、与夫寤而所欲所有為者、有所異耶。
かの夢の屋室に居り、車馬に乗り、衣服を被、飲食を進め、妻子を悦ばせ、仇讎を憎み、憂楽喜怒せると、かの寤めて為す有らんとするところを欲するところのものと、異なるところ有りや。
その夢の中で住んでいる家、乗っている馬車、着ている服、出てくる飲食物、女房子供にさせるぜいたく、あだかたきへの憤懣、心配、楽しみ、喜び、怒り・・・それらは、おまえが醒めているときにそうしたいと思っているそれぞれと、どこか違っているのかな?」
無所異。
異なるところ無し。
「・・・いえ、違いはございません」
「ほう・・・
無所異、則安知寐而為之者夢耶、寤而為之者夢耶。
異なるところ無ければ、すなわちいずくんぞ寐(いね)てこれを為すものの夢なるや、寤めてこれを為すものの夢なるやを知らん。
違いがない、というのであれば、寝ているときが夢なのか、覚めているときが夢なのか、どうしてわかるのかな? 同じではないのかな?
それに、
人生百歳、其間昼夕相半、半憂半楽、又何怨乎。
人生百歳、その間、昼と夕相半ばし、半ばは憂い半ばは楽しむ、また何か怨まんや。
長くとも百年のこの人生、その間、昼間と夜が半分づつで、半分はツラく半分は楽しいのなら、いったい何の文句があるのかな?
さらにいえば、
百年猶一夕也。昼夕寤寐倶夢矣。汝思之。
百年なお一夕のごときなり。昼夕寤寐ともに夢なり。汝これを思え。
その百年の間も一晩のようなものじゃ。昼も夜も覚めても寝ても、すべて夢なのじゃ。おまえは、このことをよくよく考えるがいいぞ」
「むむーん」
通は黙ってうなずいたのであった。
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「无能子」巻下・答通問(通の質問に答える)第一。
无能子(無能先生)とはあまりにもカッコいい名前ですが、そのひとは審らかならず、
不著撰人名氏、光啓中、隠民間。
撰人の名氏を著わさず、光啓中、民間に隠る。
著者の名前は明らかでない。この本自体も晩唐の光啓年間(885〜888)に民間に隠されてしまった。
と「唐書・藝文志」に書かれていますが、明の正統年間(1436〜1449)に道教の文献集である「道蔵」に加えられて、ゲンダイまで伝わったのでございます。清の学者たちは、著者を晩唐の、もと官吏をしていたが、世の乱れを避けて隠退したひとであろうと推測している(「四庫全書総目提要」)。
彼らにしても、まさか「肝冷斎」の一人としてゲンダイにも潜伏しているとは気づくまい・・・。
―――えー。さて、明日も更新するつもりなんですが、なにしろ明日はかなりの田舎に赴きますので、電波が通じているかどうかわかりません。もし更新がアップできなければ、今年最後になりますので、念のため申し上げておきます。(不安と心配の中とは思いますが、)
よいお年をお迎えください。