目の前のものを捕らえたとて、それが何になろうか。おまえの捕らえるべきものは、今目の前に見えているものではない・・・と思いませんか。
いやー、毎日精神を擦り減らして、みなさん、たいへんだなあ・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・
むかしむかし、殷の湯がまだ王位に即く前、まだ夏の桀王に仕えていたころのこと―――(紀元前17世紀中ごろ、という設定になります)。
ある日、湯が邑(まち)の外の原野に出たところ、
見祝網者。
網を祝する者を見る。
網を張って、その中で何やら祈り事をしている者を見かけた。
「何を祈っているのかな?」
と見ていますと、
置四面、其祝曰、従天墜者、従地出者、従四方来者、皆離吾網。
四面を置(もう)け、その祝して曰く、「天より墜つるもの、地より出づるもの、四方より来たるもの、みな吾が網に離(つ)け」と。
四方に網を張って、そこで願い事を唱えた。その言に曰く、
「天より降りくるものよ、地より昇りあがるものよ、四方より寄り来たるものよ、みなわが網にかかれ」
と。
湯はこれを聴きまして、
嘻、尽之矣。非桀其孰為此。
嘻(ああ)、これを尽すなり。桀にあらざればそれ孰(たれ)かこれを為さん。
「なんとまあ、これは全部取りしようという願い事でちゅよー。今を時めく夏国の桀王さまでも無ければ、そんなことをするものではありません」
と言いますと、祈りを捧げていた者のところへどかどかと近づいていきまして、
解其三面、置其一面。
その三面を解き、その一面を置(もう)く。
三方の網をはずしてしまい、一面だけをそのまま残した。
「あ、こら、何をなさるのじゃ・・・と見れば、我らの部族の長である湯さまではないか」
と驚いているその人に向かいまして、
「こう祈ってくださいよ」
と、
更教之祝。
更にこれに祝を教う。
あらためて、祈り方を教えてやったのである。
その祈りは、以下のごとし。
昔蛛蟊作網、今之人循序。欲左者左、欲右者右、欲高者高、欲下者下。吾取其犯命者。
昔、蛛蟊(ちゅうぼう)網を作り、今のひと循序せり。左せんとするものは左し、右せんとするものは右し、高からんとするものは高くし、下らんとするものは下れ。吾はその命を犯すものを取らん。
太古のむかしより、クモは網を設けて来た。いま、われら人類もそれを真似る。(クモのように一方向だけに網を張った。)
左に行きたいものは左に、
右に行きたいものは右に、
上に昇りたいものは上に、
下に降りたいものは下に、
それぞれに行くべきところに行け。
わがコトバに従わず、まっすぐ進もうというものだけ、我が網に捕らえられよ。
さて、結果は―――?
漢南之國聞之、曰、湯之徳及禽獣矣。四十国帰之。
漢南の国、これを聞きて曰く、「湯の徳は禽獣に及べり」と。四十国これに帰す。
漢水以南に棲む部族の者どもは、このエピソードを伝え聞いて、言い合った。
「湯どのは鳥やケモノにも正当に接する、心正しいひとらしいぞ」
かくして、四十の部族が湯の配下となったのだ。
ああ。
人置四面而未必得鳥。湯去三面置其一面、以網四十国。非徒網鳥也。
人、四面に置(もう)けていまだ必ずしも鳥を得ず。湯は三面を去りその一面に置(もう)けて、以て四十国を網せり。いたずらに鳥を網するのみにあらざるなり。
ふつうの人は、四方に網を張って、しかしそれでもどれぐらい鳥を捕れるかはわからない。ところが湯王は三方の網を外して一方だけ張って、それによって四十の部族を得たのである。鳥だけを捕まえていたわけではないのだ。
おしまい。
・・・・・・・・・・・・・
漢・劉向「新序」巻五・雑事より。なんとかこの湯王さまの教えを使って、「しごとはしない方がいいんでちゅよー」とおえら方たちにプレゼンできないものか。