たびびとは二度と帰らないかも知れない。
また平日が来るよー!
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「估客楽」(估客(行商人)の曲)という古いうたがありまして、これは
斉武帝之所製也。
斉の武帝の製するところなり。
南朝・斉の武帝(蕭賾。在位482〜493)がお作りになったものである。
武帝布衣時、常遊樊掾B登祚以後、追憶往事而作歌。
武帝布衣の時、常に樊・揩ノ遊ぶ。登祚以後、往事を追憶して作歌す。
武帝がまだ庶民だったときは、いつも東シナ海沿岸の樊や揩フ地に旅行に出かけていた。帝位に即かれて後、むかしのことを追憶して作った歌である。
どんな歌だったかというに、
昔経樊摶、 昔、樊・揩フ役を経て、
阻潮梅根渚。 潮に阻まる、梅根の渚。
感憶追往事、 感憶して往事を追えば、
意満情不叙。 意は満ちて情は叙(の)べられず。
むかし、樊・揩フ地で仕事して、
そのあと梅根渚で海水のために進めなくなったなあ。
あのころのことを思い出すと、
思いは満ち溢れ、ことばにしきれない。
というのであった。
梁改其名為商旅行。
梁、その名を改めて「商旅行」と為す。
梁の時代になってから、歌の名前は「商旅のうた」に改められた。
理由はわかりませんが、前代の皇帝の曲であることを嫌がったのかも・・・。
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と、唐・杜佑「通典」に書いてあるんです。
ところが、杜佑より後の人である李白に「估客行」(估客(行商人)のうた)というほとんど同じ名前のうたがある。
海客乗天風、 海客は天風に乗じ、
将船遠行役。 まさに船をもて遠く行役せんとす。
譬如雲中鳥、 たとえば雲中の鳥の如く、
一去無蹤跡。 ひとたび去りては蹤跡(しょうせき)無し。
貿易商人のあの人は、空から吹く風に帆をあげて、
「さあ船を出すぞ、遠い国まで仕事をしに行くんだ」てさ。
あなたは雲のかなたに飛んでいく鳥みたいなもので、
行ってしまえばもうあとかたも無くなる―――わたしを忘れてしまうでしょう。
貿易商人を見送る女のうたになっている。
このうたと、「估客楽」との関係は如何に。
明の胡震亨曰く、
估客行即西曲之估客楽。
「估客行」は即ち、西曲の「估客楽」なり。
(李白の作った)「行商人のうた」は、西域音楽の「行商人の楽曲」そのものなんですなあ。
斉の武帝が作った、というのがそもそもの間違い。
西域音楽の中に、次のようなうたがある。
長檣鉄鹿子、 長檣の鉄鹿子、
布帆阿那起。 布帆、阿那(あ・な)に起こる。
詫儂安在間、 儂(われ)に詫ぶるもいずこの間に在りや、
一去数千里。 一たび去りては数千里。
高いほばしらの上には鉄のリール、
布の帆はどこから出てきたのか(というように、あっという間に張り上げられた)。
あんたはあたしに何やら言い訳してた―――はずなのに、どこに行ったの?
あっという間にもう数千里のかなた。
これが「估客楽」。
李白は、この「一たび去りて数千里」(あっという間にもう数千里のかなた)を「一たび去りて蹤跡無し」(行ってしまえばもうあとかたも無い)に替えてしまったのである。
更難為情。
更に情を為し難し。
一段と感情を制御しがたいツラい状況ではないか。
と思いませんか。
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李太白「估客行」(「李太白全集」巻六所収)。
おいらは明日の朝までに身をくらませて、李白の「估客行」のように、「ひとたび去ってもうあとかたも無い」になる、と思います。それほど追い込まれてきたぞー。うわー。