言っときますけど、おきなわに行くのではありませんからね。今回はほんとうの海外亡命が行われるのである。
明日はまた平日だから、肝冷斎たちもマジメにハタラくのだろう、と思っていると大間違いである。
・・・・・・・・・・・・・・・
漢の河平元年(西暦28年)のことだそうですが、都・長安に石良と劉音という者が住んでいた。
ある日、
有如人状在其室中。撃之為狗、走出。
人の如き状のもの、その室中に在ること有り。これを撃つに狗と為り、走りて出づ。
二人の住んでいる家の中に、どこから来たのか、ニンゲンのようなかたちをした者がぼんやりと座っていた。
「どこから来たのだ!」
石良らが武器を執ってこれを撃つと、それは、突然にイヌに変化して、そして逃げ出して行った。
「なんだったんだ、今のは・・・」
すばらくすると、
有数人被甲持兵弩至良家。
数人の甲を被り、兵弩を持するもの、良が家に至る有り。
今度は、数人の者が、みなよろいを着け、武器やいしゆみを手にして、石良たちの家に押し寄せてきた。
「いったいなんなのだ、おまえたちは!」
良等格撃、或死或傷、皆狗也。
良ら格撃し、あるいは死にあるいは傷つくに、みな狗なり。
石良らが格闘したところ、そいつらはあるいは死に、あるいは重傷を負って倒れたが、するとすべてイヌに変化した。
傷ついただけのイヌは逃げ去ってしまったが、死んだイヌはそこに遺ったので、片づけなければならなかった。
こんなことがその年の二月から六月まで断続的に起こったのだったが、とうとう原因はわからなかった。
賢者がいうには、
犬禍、言不従之咎也。
犬の禍は、言の従われざるの咎なり。
イヌの妖怪が出現するのは、正義の言論が通らないときに、それを(神霊たちが)咎めるためである。
ということであるから、この時期そういう政治的事件が起こっていたのかも知れない。
・・・・・・・・・・・・・・・
「捜神記」巻十一より。正義の言論が通っているか通っていないか、は別としまして、おいらはこのイヌたちのようにコロされてしまう前に逃げ出すことにしました。明日から、ついに亡命である。ぶたの着ぐるみは置いていきますので、欲しいひとは着てください。ぶっぶー。