ぽこん、とどこかに出たら冬眠中の方のお眠りを邪魔したりして、突如として苦境に陥ることもある。
週末なのに寒いし体重増えるし明後日はもう月曜日だし、いろいろ楽しくないことばかりである。
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実は、
世上未有一人不居苦境者。
世上、いまだ一人も苦境に居らざる者あらず。
この世には、いままでただ一人も苦しい状況になかったひと、というのはいない。
んだそうなんです。
そして、
其境年変而月不同、苦亦因之。
その境、年に変じ月に同じからず、苦もまたこれに因る。
その状況は、毎年かわるし、毎月同じでない。苦しみもまたそれにつれてどんどん変わる。
作官則有官之苦、作神仙則有神仙之苦、作仏則有仏之苦。
官と作(な)らば官の苦有り、神仙と作らば神仙の苦有り、仏と作らば仏の苦有り。
役人になったら役人の苦しみがあり、仙人になれても仙人の苦しみがあり、ブッダとなってもブッダの苦しみがあるのだ。
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明・袁宏道「袁中郎尺牘」より「王以明に与うる書」。
若いころは、苦しくなると(確かに「若い」という字は「苦しい」に似ているなあ)、このコトバを知って「どこに行っても苦しいのだ、諦めるしかないのだ」と思いながら生きていたように覚えております。今となって思うには、おそらくだまされていたのでしょう。例えば極楽浄土は「無有衆苦」(衆苦有ること無し)で、どんな苦しみも無いんです。むかしは遠いところだったので「そんなところあるはずない」と思っていましたが、だんだん近づいてきたので確かにあると思えてきましたよ。いつかはそこに行けるみたいなんですが、なんとかして早く行きたいなー。
・・・と言っていたら、誰かが、
「極楽浄土に行きたいなら、肝冷斎シね!」
と怒鳴りつけてくるかも知れませんが、そりゃそのとおりですから怒る気にはなれません。日本が「死ね」と言われてもガマンできたんですから。
ところで、「日本死ね」が昨年流行語大賞になったとき、ネットの心あるひとは「死ね」というコトバを称揚する一部政治家や一部メディアや一部文化人に苦言を呈していたが、この一部メディアが「死ね」といわれて「言ったひと、言われたひとによって意義が違う」から糾弾しているらしいです。おいらはテレビも新聞も見ないから知らないし、みなさんもまさかそんな新聞読んでないと思いますから知らないでしょうけど。