ナスが忍術で化けているのでは? そう考えれば辻褄が合う。
今日もどうしようもなく食べ過ぎてしまう。なんでこんなことをしてしまうのか、説明できない。
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世の中、説明できないことは多いですね。
宋の蘇東坡先生が、
遊中州白鶴観。
中州の白鶴観に遊ぶ。
河南・中州にある白鶴観という道教のお寺に観光に行った。
んだそうです。ここは昔、仙人が白い鶴に乗って天に去って行ったところと言い伝えられていました。
先生が見学していると、ちょうど高い塔の前のところで、
「うっしっし」
とにやにやしながら汚いじじいが現われて、白いヒゲを撫ぜながら先生の方をじろじろ見ている。
「なんですかな、ご老人」
と声をかけると、じじいは、
「そうか、まだわしを思い出さんか。そうか、そうか、うっしっし」
とにやにやしていたが、
「変なじじいだなあ」
と、一瞬目を離している間に、もうそのじじいの姿は消えてしまっていた。
「どこに???????」
見回すと、
壁上高絶処有小詩。
壁上の高絶処に小詩有り。
塔の壁の、ずうっと高いところに、短い詩が書きつけられている。
詩を読むに
仙人未必皆仙去、 仙人いまだ必ずしもみな仙去せず、
還在人間人不知。 還って人間(じんかん)に在るも人知らず。
仙人はみんな仙界に行ってしまっているわけではないんじゃよ。
ニンゲン世界に戻ってきているのもいるんじゃが、知らないじゃろうなあ。
「へー」
そこらへんにいた道士を捕まえて、
「あれは誰が書いたのかね」
と訊ねてみたが、
不知何人題也。
何びとの題せるやを知らず。
「さあ、どなたが書いたんでしょうかなあ」
と要領を得なかった。
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宋・蘇東坡「東坡題跋」巻三より「記白鶴観詩」(白鶴観の詩を記す)。
というような、説明できないこともあるのですなあ。・・・いや、待てよ。このじじいは忍者だったのでは。だとすればすべての辻褄が合うぞ。わしが食べ過ぎるのも、忍者の術にやられているのカモ?