ぶたとはいえ天使がここまで堕落する、というのはかなりのデカダンスである。
南関東では本日木枯らしが吹きました。寒くなった。もう「うはうは」と酔って、裸で寝るわけにはいきません。
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酔って寝てしまう、というデカダンな詩。
懶雲窩、 懶雲窩(らんうんか)は、
醒時詩酒、 醒時には詩と酒ありて、
酔時歌。 酔時には歌う。
おれの棲み処は「懶雲窩」(無気力な雲の穴)という。
おれはここで、
醒めているときには詩を作り、酒を飲み、
酔っ払ったら歌をうたっている。
だいたいいつもアルコールは入っているわけです。
瑶琴不理、 瑶琴理(おさ)めず、
抛書臥、 抛書して臥し、
無夢南柯。 南柯を夢むること無し。
玉を飾った琴を弾いてみたがうまくいかない。
書物を放り出して横になってしまうが、
「南の枝の物語」のように、出世を夢見るつもりもない。
「南柯」は唐代伝奇の「南柯記」のこと。ある士人がある屋敷の庭に面した部屋でうたたねした。それから醒めると、そこは見知らぬ王国で、士人はここで役人になり、時には将軍として出征し、あるいは政敵を追い落として、ついには王女を妻にして南柯公に封じられた。しかし、讒言を受けて本国から攻撃を受け、その宮殿はついに崩落した・・・と、目が覚めると、まだ最初にうたたねをしていた場所であった。ちょうど目の前で庭師たちが庭の木の南側の枝(南柯)を伐り落としているところで、そこには根っこのところの大きなアリの巣に対して、もう少し小さめのアリの巣があったという・・・。
―――出世するのを夢見ない、というならば、何を楽しんで生きているのか。
得清閑尽快活。 清閑を得て快活を尽くさん。
日月似攛梭過、 日月は攛梭(さんさ)の過ぐるに似、
富貴比花開落。 富貴は花の開き落つるに比(くら)ぶ。
すがすがしくのどかな日々を快く生き生きと過ごすのがよろしい。
日と月、時間は忙しく左右する織機の梭のように過ぎ去るものであり、
財産や地位を得失するのは花が開いたり落ちたりするようなものでしかないからね。
青春去也、 青春去らん、
不楽如何。 楽しまずして如何せん。
人生の春はもう去って行こうとしているのだぞ。
楽しまないでいるとは、どういうことじゃ?
以上、おしまい。
こちらは、もう秋も終わりである。
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元・阿里西瑛「双調・殿前歓・懶雲窩」曲。
阿里西瑛は、姓が阿里(アリー)、名は不明、一説には木八剌(ムバラク)、西瑛(シーアとでも読むのでしょうか)はその字で、浙江呉郡のひと。その人となりは、おやじの代にチャイナに来た色目人で、14世紀の前半に在世していたこと、当時の漢族詩人たちと交際があり、社会への不満を含んだ小令(短い「曲」)の名篇をいくつか遺した、というぐらいしか伝わっておりません。(二年ぐらい前にも訳しているみたいですが、時間無いのでこのままアップします。以前の方が読み込み深いカモ)