おれらもひっぱりダコにしろ、と中タコやデカタコまで集まってきた。デカタコを引っ張るのはたいへんだぞ。
デカタコを後回しにしていたら早くしろと締め上げられた。
今日も無気力。でぶー。
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唐の時代、八世紀の中ごろ、ぶた僧侶が安徽・天柱山に来まして、崇慧禅師に訊ねました。
達磨未来此土時、還有仏法也無。
達磨いまだこの土に来たらざるの時、また仏法有りや無しや。
「ぶー。ダルマ大師さまが天竺からこの地にお見えになって禅を伝える前には、仏法は無かったのでしょうか、それとも永遠のむかしより有るものなのでしょうか」
禅師は「はあ?」としばらくぼけーとしていて、答えて曰く、
未来且置、即今事作麼生。
いまだ来たらざるはしばらく置け、即今の事、作麼生(そもさん)。
「ダルマ大師がお見えになる前のことはどうでもいいが、今現在はどうなのかな?」
某甲不会。乞師指示。
某甲(むこう)会(うい)せず。乞う、師、指示せよ。
「ぶー。拙僧にはわかりませんでぶぞ。お師匠さま、どうぞお教えください」
禅師はまたぽけーとしていて、やがて言った。
万古長空、 万古長しえに空しけれど、
一朝風月。 一朝に風月あり。
永遠のむかしより空はからっぽなのに、
今朝は風情のある月が残っているなあ。
「ぶぶー」
僧は何もコトバを発することができない。
すると、しばらくして禅師がおっしゃった。
「おわかりかな?」
「い、いえ、でぶー」
自己分上作麼生。干他達磨来与未来作麼。
自己分上に作麼生(そもさん)。他(か)の達磨の来たるといまだ来たらざるとに作麼(そも)干(かん)せんや。
「おまえさんの自分自身の問題としてどうなのかな? おまえさんの問題と、ダルマ大師さまが来たとかまだ来てないとかいうことにどういう関係があるのだろうか」
「ぶぶー」
禅師続けて曰く、
他家来、大似売卜漢。見爾不会、為爾錐破。
他家の来たるや、大いに売卜漢に似たり。爾の会せざるを見て、爾のために錐破す。
「あのダルマさんが来たのは、街の易者と出会ったのに非常によく似ている。おまえさんが理解できてないのを見て、おまえさんのために錐で穴を明け(るようにヒントを与え)てくれに来たのじゃよ(。何百年も前に)」
「ぶう」
卦文才生吉凶、尽在爾分上、一切自看。
卦文はわずかに吉凶を生ずるも、ことごとく爾の分上に在り、一切自看せよ。
「易者さんの教えてくれたヒントの占辞が、吉になるのも凶になるのも、すべておまえさん次第なのだ。(ダルマ大師に頼らずに)すべてを自ら考えてみよ」
「ぶびー」
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「五燈会元」巻二より。ぶた僧侶に難しいことを言われてもなあ。以来1200年ぐらいいろいろ考えておりますが、なかなか答えに行きつかないのでぶー。みなさんはわかっておられるんでしょうけどね。でなければそんなに気楽に生きてられませんもんね。ぶひひひ。