魚類やタコなどは冷血であり、仲間うちでもニンゲン並みに冷酷に振る舞うことができるはずである。
金曜日まで来ました。しかしまた来週がくるのだ・・・。
今日はお酒飲んできて家についてすぐ寝てしまい、日付けかわるころ目が覚めました。もう寝付かれないので、いやーな気分である。
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ついでだから、少しイヤな気分になるお話をしましょう。(チャイナ古典では普通なのですが、お花畑にいて読むとイヤな気分になるレベルの軽いやつなのでコドモでも安心です)
唐の宣宗皇帝(在位846〜859)のとき、越(浙江)の太守が「女楽」(女性だけからなる楽団。もちろん酒色のことにも侍る)を献上してきた。
非常な美人ぞろいで、
上初悦之。
上、初めこれを悦ぶ。
帝は、当初は彼女らにメロメロになった。
数か月の間に、山積みになるほどの賜りモノをしたほどである。
ところが、
忽晨興不楽。
たちまちに晨興して楽しまず。
ある朝、どういうわけか落ち込んでおられた。
左右の者が
「どういたしましたか」
と問うと、帝が深くため息つかれておっしゃるには、
明皇帝只一楊妃、天下至今未平、我豈敢忘。
明皇帝、ただ一楊妃なれども天下今に至るもいまだ平らがざること、我あにあえて忘れんや。
「明皇帝」とは宣宗の十代前に当たる玄宗皇帝(在位712〜756)のことです。
「ご先祖の玄宗皇帝は楊貴妃一人のために酒色に耽って国を過まり、安禄山の乱を招いて、それ以来、天下は今にいたるまで太平の世の戻らないでいる。わしはそのことを忘れたことはない」
と。
そして、女楽の者たちを御前に召すと、
応留爾不得。
なんじを留むることを得ざるべし。
「おまえたちをこのまま手元に置いておくことはできんのじゃ」
と宣告なされた。
左右の者、言う、
可以放還。
以て放還すべし。
「それでは浙江に追い返しましょう」
すると皇帝はかぶりを振って、おっしゃった。
放還我必思之。
放還すれば我必ずこれを思わん。
「追い返したりしたら、わしはまたこいつらを思い慕ってしまうじゃろう」
「では如何いたしましょう?」
帝曰く、
可賜酖一杯。
酖一杯を賜うべし。
「毒酒を一杯づつ、飲ませてあげなさい」
「ははー、御意にござりまする」
ということで、女たちには死を賜うたのである。
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宋・王讜「唐語林」巻七より。もと「続貞陵遺事」という本の中に出てくるお話なのだそうですが、
太不近人情。恐誉之太過。
はなはだ人情に近からず。恐るらくはこれを誉むること、はなはだ過ぎたり。
あまりにもニンゲンの感情としてあり得ない行為である。おそらく、(もっと裏のある話なのだが)皇帝を称賛する話にし過ぎているのではなかろうか。
として、「資治通鑑」が採用しなかったお話なのだそうでございます。これを「誉めている」と認識するあたりがいかにもチャイナ文明の特色だなあ。