ぴよー、危険なぶた自転車でぴよ。何が危険といっていつぶっ壊れるかわからない。まあみなさんが乗っかっている現世というものがまさにそうなのですぴよが。
職場では連休明けの今日、早速破滅的なことが起こって悩んでいるようですが、ぶた冷斎は職場には行きません。
「ぶた冷斎くんはしごと行ってないんかね」「ぶーです」「ではわしの山斎へ遊びにきなされ」「ぶーです」
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ということで、寒山に来てみました。
寒山有躶蟲、 寒山に躶蟲(らちゅう)有り、
身白而頭黒。 身白くして頭黒し。
寒山には「はだかどうぶつ」がいるぞ、
からだは白くて頭は黒い。
「躶蟲」あるいは「裸虫」というのは、身にウロコも毛皮も甲羅もまとっていないドウブツをいいます。その代表が「ニンゲン」だが、精霊や蛮族や猩々のような「ニンゲン」でないものもいます。
「大戴礼記」易本命篇の
有羽之虫三百六十、而鳳凰為之長。有毛之虫三百六十、而麒麟為之長。有甲之虫三百六十、而神亀為之長。有鱗之虫三百六十、而蛟龍為之長。倮之虫三百六十、而聖人為之長。
羽有るの虫三百六十、鳳凰これが長たり。毛有るの虫三百六十、麒麟これが長たり。甲有るの虫三百六十、神亀これが長たり。鱗有るの虫三百六十、蛟龍これが長たり。倮(ら)の虫三百六十、聖人これが長たり。
羽毛のあるドウブツは三百六十種類いる。鳳凰がその指導者である。毛皮のあるドウブツは三百六十種類いる。麒麟がその指導者である。甲羅のあるドウブツは三百六十種類いる。神秘の亀がその指導者である。ウロコのあるドウブツは三百六十種類いる。水龍がその指導者である。しかして、皮膚まるだしのドウブツも三百六十種類いて、聖人がその指導者なのである。
という定義が有名ですが、六朝時代には
倮虫三百、人為最劣。
倮虫三百、人、最も劣となす。
(皮膚丸出しという点ですでに劣っている)はだかドウブツは三百種類いるが、ニンゲンがその中でも最も劣弱である。
とも言われたんだそうです(「覈性論」)。大自然はキビシイですね。
さて、この「はだかドウブツ」、実はこれが寒山というニンゲンなのですが、
手把両巻書、 手に両巻の書を把る、
一道将一徳。 一は道、また、一は徳なり。
手に二巻からなる本を持って(読んで)いるぞ、
一巻は「道」、もう一巻は「徳」である。
この本は「老子道徳経」のこと、要するに今の「老子」です。「老子」は上下二巻に分かれ、道教の世界では上巻を「道」経、下巻を「徳」経と呼びます。
寒山は仏教のひとだと思っていたが、「老子」も読んでいたんですね。
――― 一定の〇〇教にとらわれることはないんじゃ。生活だって、
住不安釜竈、 住むに釜竈を安んぜず、
行不齎衣裓。 行くに衣裓(いこく)を齎(もた)ず。
「衣裓」(いこく)はモノを入れておける衣の袖や襟のところをいうコトバですが、物を入れて担ぐための布袋のこともいいます。
一か所にとどまって暮らさないので、釜やかまどを安定させることもなく、
移動するときにも荷物袋を持っていく、というわけではない(何も所有していないのだ)。
―――いや、何も持っていないというわけではないな。
「何を持っておられるのでぶか?」
常持智慧剣、 常に智慧の剣を持ち、
擬破煩悩賊。 擬して煩悩の賊を破る。
常に智慧の剣をひっさげていて、
欲望やら迷妄やらの煩悩という敵を、やっつけようとしているのさ。
すばらしい。ずっとここにいたいでぶー。
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一週間に一回ぐらい「寒山詩」を読まないと心が汚れ衰えて、ぶたからニンゲンに堕落してしまうかもしれませんので、読むのでぶー。