たとえ自分も食べていても、隣のひとのラーメンが気になるのが生物の定めである。普通は気になるだけだが、叔父をコロし兄をコロし水爆も手に入れるやつもいるのである。
(まだ現世にいました。やつらに見つからないように早く身を隠さないといけないのだが、つい腹いっぱい現世の飯を食いたくなって食ってしまった。明日の昼飯食ったら消えます。うっしっし)
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墨子が、魯の陽文君に謂うて曰く、
今有一人於此、羊牛犓豢、饗人但割而和之、不可勝食也。
今、ここに一人有り、羊牛・犓豢、饗人袒割してこれを和し、あげて食らうべからず。
いまここにひとが一人いたとします。このひと、ヒツジやウシにエサをやり養って、それを料理人が肩肌脱ぎになってぶったぎり、これにいろいろ味付けをしたものが、目の前にやまほどあって食いきれない―――とします。
すばらしい状況です。
ところが、このひと、
人之作餅、則還然竊之、曰、舎余食。
人の餅を作るに、すなわち還然としてこれを竊み、曰く、「余に食を舎(あた)えよ」と。
「還然」というのは「驚きびっくりしているようす」。
別の人が団子を作っているのを見て、びっくりしたようにそれを奪い取り、
「わたしには食い物が必要なんです」
と言ったとします。
こんな行動をとったのは、
不知耳目安不足乎、其有竊疾乎。
知らず、耳目ここに足らずとするか、それ竊疾あるか。
目の前にあるものの量がわからずにさらに食べ物を欲したのでしょうか、それともそのひとに盗み癖があるのでしょうか。どう思われますか?
陽文君は答えておっしゃった。
有竊疾也。
竊疾有らん。
「盗み癖があるんだろうなあ」
「そうでしょうとも」
と相槌を打って、墨子が言った。
楚四竟之田、曠蕪而不可勝辟、墟虚数千、不可勝入。見宋鄭之間邑、則還然竊之。此与彼異乎。
楚の四竟の田、曠蕪して辟(ひら)くに勝うべからず、墟虚数千、入るに勝うべからざるなり。宋鄭の間の邑を見るに、すなわち還然としてこれを竊む。これ、彼と異ならんや。
楚の国はその四方の境界のあたりは、まだ荒地になっていて開墾が出来ていませんし、誰もいない空き地が数千区画もあって、ひとがまだ入り込んでおりません。そんな状況なのに、(楚は)宋の国と鄭の国のあいだ当たりのまちを見て、びっくりしたように奪い取ろうとしています。これはその肉のたっぷりある人と同じではありませんか。
陽文君は言った。
実有竊疾也。
実に竊疾有るなり。
「そりゃまったく、盗み癖があるんだろうなあ」
うるせー、という感じがありありですね。
魯の陽文君はこのとき楚とともに鄭の国を攻めようとしていて、非戦主義者の墨子はいろいろ説教してそれを取りやめさせようとしている、その会話の一環なんですが、鄭側の意を受けて動いているスパイとも考えられなくはない・・・と当時のひとは考えたかも知れません。結局魯に居られなくなって、墨子はこのあと楚に行くことになります。
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(「墨子」巻十一「耕柱第四十六」より。肉料理食って腹が苦しくなったから次は団子よこせ、というのは本当に「盗み癖」なのだろうか。単に大食いなだけではあるまいか・・・などと考えて現世にとどまっているヒマはないのであった。はやくツクツクボウシの代わりを見つけて更新作業押し付けていかないと、やつらに見つかるし、体重増えるし、ミサイル飛んでくるかもだし・・・。)