平成29年9月3日(日)  目次へ  前回に戻る

水爆まで作るやつらがおるというのに、おにぎり型固形エネルギーをもくもくと食べ続けるぶたロボット。エネルギーを貯めるばかりで何らかの動きを見せることはない。気力回路が無いのだ!

(つくつくぼうしのやつめ、もう力尽きおったか。もうひと働きぐらいするかと思ったが・・・。気力が足りないのだ!)

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ニンゲンでも気力が足りないやつは怪しからん。

七尺之躯、戴天履地、抵死不屈於人。

七尺の躯、天を戴き地を履みて、死に抵(いた)るまで人に屈せず。

明代の一尺は32〜33センチですので、「七尺」は2.3メートルぐらいになります。「明代のひとはでかかったんだなあ」と思ってしまいますが、古代や漢代の一尺は20センチ〜25センチだそうなので、その時代の尺をイメージしているのでしょう。そうすると、1.4メートル〜1.75メートルぐらいです。

2メートル弱のからだをもらって生まれてきたならば、上は天空を見上げ、下は大地を踏みしめて、死んでしまうまでの間は他人に支配されることなく自由に生きていきたいものだ。

まったくです。

乃自落草以至蓋棺、降志辱身、奉承物欲、不啻奴隷。

しかるに落草より以て蓋棺に至るまで、志を降し身を辱しめ、物欲に奉承するは、啻(ただ)に奴隷のみならず。

ところが、(多くのひとが、)生まれ落ちてから棺のふたをおおわれてすべておしまいになるまで、こころざしを低くしてからだを辱しめ、物欲に奉仕して生きているのは、自由を持たない奴隷以下といわねばならない。

こんなことでは、

到那魂升於天之上、見那維皇上帝、有何顔面。愧死愧死。

那(か)の魂の天の上に升るに到りて、那(か)の「維れ皇(おお)いなる」上帝に見みえて、何の顔面か有らん。愧じて死すべし、愧じて死すべし。

その魂が天上に昇るに至って、あの「大いなる」天帝さまにお目見えしたとき、いったいどんな顔を見せればよいのであろうか。あまりに恥ずかしくて死んでしまうだろう。あまりに恥ずかしくて死んでしまうだろう。

もう死んでますやん。

なお、おいらも若いころはこういう考え方も少しあったんですが、もうまったくないのでもういいや。

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「呻吟語」第百則。つくつくぼうしも天上に昇ってしまった。また代わりを立てねば。・・・わしはあまりここに長居はできんからな。やつらに「まだ生きている」と気づかれてはならぬゆえに・・・。)

 

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