水中から夕陽に向かって見てみたりすると、ぶた漁師だって後光がさして見えることもあるであろう。
どう考えましてもネコに社会生活はムリですニャ。
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思いますに―――
楚雲寒、 楚雲は寒く、
湘天暮。 湘天は暮れゆく。
ここ湖南はいにしえの楚の国あたり。雲は寒々として、
空は暮れてゆくころ。
斜陽影裡、 斜陽の影の裡に、
幾个漁夫。 幾个の漁夫ありや。
傾く陽のかげの射す中、
まだ湖上に働く漁夫たちの数を、君は数えられるだろうか。
陸地を振り返ると、
柴門紅樹村、 柴門は紅樹の村に、
釣艇青山渡。 釣艇は青山の渡しにあり。
紅葉した樹々に囲まれた村に、粗末な柴の門が見え、
みどりなす山を背景にした渡し場には、釣り船が繋がれている。
貧しいが平和な漁村なのである。
驚起沙鷗飛無数、 驚起せし沙鷗、飛ぶこと無数に、
倒晴光金縷扶疏。 晴光を倒(さかし)まにして金縷(きんる)扶疏(ふそ)たり。
「扶疏」は樹々の枝が茂ってもつれあっている様子をいう俗語。
何に驚いたか、砂浜に群れていた無数のカモメたちが、いっせいに飛び上がった。
日の光はさかさまになって、湖面に泛んだ縺れあった黄金の糸のように目に映る。
さあ、そろそろ今日の日に為すべきことは終わった。
飲もうではないか。
魚穿短蒲、 魚は短蒲を穿ち、
酒盈小壺、 酒は小壺に盈ち、
飲尽重沽。 飲み尽くさば重ねて沽(か)わん。
魚たちは岸辺の短いガマの根元あたりに潜って眠ろうとしている。
酒はこの小さな壺になみなみとある。
飲み尽してしまえば、どんどん買ってくることもできるのだ。
というような心許し合った仲間との付き合い―――これぐらいがネコに出来るギリギリの社会生活ですニャ。ついでに食べ残しの小魚でももらえればシアワセだニャ。それ以上を求められるのでは、やはりやっていけない。会社はムリだニャあ。
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元・鮮于必仁(せんう・ひつじん)「中呂・普天楽、漁村落照」(中呂調の「世界に満ちる音楽」の節で、「漁村の夕日」)。
鮮于氏は女真族の姓ですが、鮮于必仁も多くの元曲の作者同様にどんな人生を送ったのかあんまりよくわからないひとです。ただ、豪放な中に何やら哀感のにじむカッコいい小令(短編の曲)に佳作を多く遺しておられるのニャ。(「男性的」と言う評語を使いたいのだが、ニンゲン世界では、そのコトバはもはや侮蔑の意味しか持たないらしいので、使いませんのニャ。)
全勝さんも更新休んでいるし、おいらもネコだから休ませてもらおうかニャあ。