おきなわにはまだまだ精霊や妖怪たちがいる。しかし、彼らももう夏が終わりなのでそろそろマジメに生きていくことにする・・・のではなかろうか。
ついに八月になってきた。今年もおれにはまた、何のタネも撒いてないから何も刈り入れることのない秋が来るのだ。
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唐のころ、河北・趙郡出身の降魔禅師という方がおられたんです。
このひとが則天武后の帰依も受けた大通禅師・神秀のところにやってきました。
神秀禅師曰く、
爾名降魔。此無山精木怪、爾翻作魔耶。
爾の名は降魔なり。これ山精・木怪無ければ、爾翻って魔と作(な)れるや。
「おまえの名は降魔=魔物を降伏させる=というのか。だが、山の精霊や森の怪物なんて、ほんとうはいないからね。おまえは逆に、おまえ自身が魔物になってしまっていないか?」
降魔禅師曰く、
有仏有魔。
仏有れば魔有り。
「いやいや。ブッダがいる以上、その対比物である魔物はおりますよ」
「ほほう」
神秀禅師はこの答えが気に入ったみたいで、
爾若是魔、必住不思議境界。
爾、もしこれ魔ならば、必ずや不思議境界に住まん。
「おまえがもし魔であれば、必ず考えも及ばない世界、すなわち真理の世界に棲んでいるのであろう」
降魔禅師曰く、
是仏亦空、何境界之有。
これ仏もまた空なり、何ぞ境界のこれ有らん。
「いやいや。ブッダもすべて空虚なんです。真理の世界なんてどこかにあるはずはありませんよ」
「なるほど。おまえは学ぶに値いするようじゃ」
こうして降魔禅師は神秀禅師の弟子となったのでございます。
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「景徳伝燈録」巻四より。
禅の奥深い世界をたやすく云々するつもりはないのですが、大通禅師・神秀さまはなんかちょっとか弱い、というか、優しくていい人な感じがしますね。これが、彼が才徳を兼ね合わせ、権力者からのお覚えもメデタイのに、師匠の五祖弘忍から後継者に選ばれなかった理由なのカモ・・・と思ったりしてみましたが、おそらくは下種の勘繰りでゲス。げっへっへ。