ぶた画家にとっては芸術はバクハツであり食欲もバクハツである。シゴトをするときだけ普通に戻るということはない。
ぶう。「せみまる」から「ひとまる」ではなく「ぶたまる」になってしまった。体重増をはじめ月曜日からイヤなことばかり。
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唐の宣宗皇帝(在位846〜859)のとき、宰相の令孤綯(れいこ・とう)は杭州の太守に李遠という人物を推薦したんだそうです。
上曰、我聞李遠詩云、長日惟消一局棊。何以臨郡。
上曰く、我聞くに李遠が詩に云う、「長日ただ一局の棊に消さん」と。何を以て郡に臨まんや。
皇帝がおっしゃるには、
「わしの聞いているところでは、李遠は以前に、
―――ながい一日過ごすには、碁でも打ってヒマつぶし。
という詩を作ったそうではないか。そんななまけ者に一郡の太守が務まるであろうか」
と。
令孤綯曰く、
詩人必以棊酒為言、臨事未必然也。
詩人必ず棊酒を以て言を為す、事に臨んではいまだ必ずしもしからざるなり。
「詩人というのは必ず、碁を打つことと酒を飲むことについて言うものでございます。実際のシゴトをするときには決してそんなことはございません」
「なーるほど」
乃許之。
すなわちこれを許せり。
ということで、その人事を御許可された。
宣宗皇帝は唐後半の大混乱の中で一時的な平穏期となった「大中の治」を指導し、「小太宗」(唐朝を実質創設し「貞観の治」を指導した太宗皇帝のちょっと小ぶりなやつ)と言われた名君です。
坐朝、次対官趨至、必待気息平均、然後問事。
朝に坐するに、次対の官趨りて至れば、必ず気息の平均するを待ちて、しかる後事を問う。
朝廷におられるときには、次に対応する役人が作法どおりに小走りでやってくると、必ず彼の呼吸が整うのを待ってから「それで、なにごとですかな」と事案について下問なされた」
ようにしておられたという。肥満しているひとでも安心、ですね。
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僧・王讜編「唐語林」巻二より。もと「幽閑鼓吹」という本に出てくるそうです。
それにしてもナマケ者の「なままる」はなまけさせておけばいいのに、無理やりシゴトさせてはいけませんよね。