「せみまる? そういや最近見かけておらんな。まだ穴の中におるのかな」
実は金曜日の夜、公園を通るときに「せみまる」に変化させられていました。「せみまる」になりますと物を食べる必要もなく、一日中「じいじい」鳴いていればいいだけなのでたいへん楽チンでした。一部のせみまるは子孫を遺そうと努力しますがたいていのせみまるはそんな努力もしないし、じいじい鳴いているうちにアリやネコやカラスに食われてしまいますが、神経も無いので食われているときもニヤニヤしていられるし・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
五代・前蜀の永平年間(911〜915)の初めごろのこと、
有僧恵進者姓王氏居福感寺。
僧、恵進なる者有り、姓王氏にして福感寺に居れり。
恵進という僧が、成都の福感寺という寺にいた。彼の俗人時代の姓は王氏であった。
ある朝、この出かけたとき、市内で
見一人長大身如靛色、迫之漸急。
一人の長大身にして靛色(てんしょく)の如きを見るに、これに迫ること漸く急なり。
「靛色」というのは藍色・群青色のことです。
藍色の肌をしたえらく大きなひとを見かけた。そのひと、恵進を見かけると、恵進の方にはじめはゆっくりと、やがて早足で、歩み寄ってきたのであった。
「な、なんじゃ、なんじゃ」
と逃げ出した。
逃げ出すとそのひともついてくる。
走って逃げようとすると、そいつも走り出した。
「う、うわー」
奔走避之至竹簀橋、馳入民家。
奔走してこれを避け、竹簀橋に至りて、民家に馳せ入れり。
めったやたらに駆けだして、あとをくらまそうとし、竹簀橋のところまで来て、たもとの民家に走り込んだ。
「す、少しの間、かくまって・・・」
だめだった。
此人亦随至撮拽牽頓。
この人、また随いて至り、撮拽して牽くこと頓なり。
そのひとはまるで恵進がどこに隠れてもその姿が見えているかのようで、その民家に迷うことなく入り込んできて、恵進をひっつかむとすごい力で引きずり出した。
勢不可解、僧哀鳴祈之。
勢解くべからざれば、僧、哀鳴してこれに祈りたり。
ちょっと解放してくれそうにないので、僧は哀れな泣き声を出して、助けを乞うた。
「お、おゆるしくだされ」
そのひとは問うた。
爾姓何也。
爾、姓、何ぞや。
「おまえ、姓、なにという?」
その声は生き物の声というより、金属と金属をこすり合わせたような不思議な声であった。
姓王。
姓、王なり。
「せ、姓は、王でございます」
「王・・・?」
そのひとはしばらく宙を見つめて考え事をしているようであったが、やがて、
名同姓異。
名は同じく、姓異なれり。
「名まえ、同じ。姓、ちがう」
と口にするなり、
捨之而去。
これを捨てて去れり。
突然僧を突き放すと、あとも振り向かずに去って行った。
恵進はしばらく腰も立たず、その民家で介抱されて、ようやく動けるようになったので自分の寺に帰った。
夕方ごろ、別の寺の恵進という僧侶が死んでいるのが発見された、というウワサを聞いた。その僧侶の遺体は、まるでたいへんな力で捩じりとられたかのように、頭と胴体が別々に発見された、ということであった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
五代・杜光庭「録異記」巻四より。
「せみまる」としてはこういう感じでコロされるのは当たり前のことなのでコワくもなんとも無いんです。よく人間の子どもに引きちぎられたりするからなあ。ああ、だが間もなく平日、その前にはまた「ひとまる」に戻されてしまうのだ。土日の「せみまる」が楽しかった分、ひとまるになるのイヤだなあ。はやく食べて欲しいなあ。