暑中お見舞い申し上げます!(とつぜん秋になってしまって言うのを逸してしまうといけないので、今日言っておきます)
本日は終日曇りで案外過ごしやすく、夜には霧のような雨のあって涼しかった。日も少し短くなってきたような気がするし、もう秋になるのだなあ。
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おいらは失踪して漂泊の旅にあります。舟に乗って暮らしているんです。
夕方、
風餐江柳下、 風に餐す、江柳の下、
雨臥駅楼辺。 雨に臥す、駅楼の辺。
風に曝されながら、川べりの柳の下で飯を食い、
雨に降られながら、宿場の物見の塔のあたりに(舟を舫って)眠る。
ちなみにこの「風餐雨臥」(風に餐し、雨に臥す)は漂泊の生活を描写した有名な句なので覚えておくといいことがある・・・かも知れません。ほとんどないと思いますが。
朝になると、
結纜排魚網、 ともづなを結びて魚網を排し、
連檣幷米船。 ほばしらを連ねて米船に幷す。
ともづなを岸に結びつけていた(周りの)舟は、漁網を押し広げ、
ほばしらを連ねていた運米船と一緒に動き始める。
空を見上げると、
今朝雲細薄、 今朝(こんちょう)は雲 細薄にして、
昨夜月清円。 昨夜は月 清円なりき。
今朝は細く薄い雲が空にかかっている。
昨夜の月は澄み切ってまどかであった。
どうやら季節が変わり始めているらしい。
ゆっくりと昼に向かう川の上、浮世のことにはもう関わらないので、のんびりとヒマである。
漂泊南庭老、 漂泊 南庭の老、
祇応学水仙。 ただまさに水仙を学ぶべし。
南の国にさすらう老人のこれからすべきことは、
水の仙者になる方法を学ぶことぐらいであろう。
漢・劉向「列仙伝」にいう、
琴高入涿水中、取龍子。諸弟子皆潔斎待于水旁、果乗赤鯉来。
琴高、涿水の中に入りて龍子を取らんとす。諸弟子みな潔斎して水旁に待つに、果たして赤鯉に乗じて来たれり。
むかし、琴高というひとは涿水の川に潜って、龍の子どもを捕獲しようとした。彼の弟子たちはみな精進潔斎して川のほとりで待っていたところ、やがて彼は赤い鯉に乗って浮かんできたのであった。
龍の子どもは赤い鯉だったんです。
琴高は、
留月余、復入水去。
留まること月余、また入水して去れり。
そのあと一か月ばかり地上で暮らしていたが、「そろそろ行くぞ」と言い残して、また水中に入って、今度は永久にどこかに行ってしまった。
という。
水の仙者になる方法を学んで、おいらもそんなふうに自由に生きていくのだ。
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なんと、この詩は、実は肝冷斎の作品ではなくて、唐・杜甫の「舟中」詩です。
杜甫先生がこの詩を作ったのは、四川での生活を棄て、家族と舟に乗って長江を下り、湖北に最後の漂泊に出た大暦三年(768)と推測されます。先生は大極元年(712)生まれなので、年齢的にも心境的にもほぼ現在のおいらと同世代である。そしてその二年後の大暦五年(770)の冬、舟の上で亡くなりますので、おいらもあとそれぐらいなのかな。準備せねばなあ・・・。
木枯の果てはありけり海の音 (池西言水)