ぶたがいつも何か食べているように見えるのは、何か食べているとき以外は不安感でいっぱいであるのであろう。「言い難きなり」(なんと言っていいのやら!)
今日はツラかった。また追い込まれてきております。こういうのイヤだから失踪したのに・・・・・・! そうでした、忘れてましたが、わたくし肝冷斎は失踪していたのだ。ああ楽ちんだなあ。
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おいらのように失踪してないひとは、追い込まれるとお酒でも飲んでクダを巻くしかありませんが、酔っても暴力はいけません。
無根本底気節、如酒漢殴人。
根本無きの気節は酒漢の人を殴るが如し。
根本の確立していない勇気というのは、酔いどれがひとに暴力を振るうのに似ている。
どう似ているかと申しますと、
酔時勇、醒時索然、無分毫気力。
酔時には勇なるも醒時には索然として、分毫も気力無し。
酔っているときは勇気りんりんなのだが、醒めてしまうとしょんぼりとして、まったく気力が萎えてしまっている。
これは言い得て妙な感じがしますね。
無学問底識見、如庖人煬竈。
学問無きの識見は庖人の竈(かまど)に煬(あぶ)るが如し。
(儒学の)学問に裏打ちされていない見識というのは、料理人がかまどに火をつけてものを温めるのに似ている。
どう似ているかと申しますと、
面前明、背後左右、無一些照顧。
面前明らかなれども、背後左右は一些の照顧無し。
顔の向いている方は明るく照らされてよく見えるが、背後や側面にはまったく視線がいかない。
料理人を例として引っ張り出す必然性がないんではないかと思いますが、まあそうかも知れません。
ところが、
無知者賞其一時、惑其一偏、毎撃節嘆服、信以終身。吁、難言也。
無知なるものはその一時を賞し、その一偏に惑い、つねに撃節して嘆服し、信じて以て身を終う。ああ、言い難きなり。
知力の無いやつは、酔いどれの一時の勇気をほめたたえ、料理人の一辺だけの明るさに迷わされ、いつも拍子木を打つように手を叩いて「すばらしい」と感嘆し、信じたまま生涯を終えるのである。なんと言っていいのやら。
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「呻吟語」第145条。
そうだよなあ・・・と納得できましたか。納得できるのは、無知でない者(と自分で思っている者)だけでありまして、こちらはなんとなく
「大きなお世話だ」
という気もしてまいります。よね。