平成29年7月24日(月)  目次へ  前回に戻る

千秋楽も終わり反省会で反省して泥酔するぶた力士、モグ力士、ネズ力士、カッパ力士だ。来場所こそがんばろう・・・来場所があれば・・・彼らには眠りの世界にしか生きる場は無いのであろうか。

会社から電話があり「おいらは肝冷斎とは別人格なんで関係ないんでちゅう」と抗弁しましたが、「なんでもいいから来い」というので、泣く泣く行ってきました。

一日中眠かった。

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人人愛睡、知其味者甚鮮。

人人睡を愛すといえども、その味を知る者は甚だ鮮(すくな)し。

みんな睡眠は好きなんです。しかし、睡眠の本当の味わいを知る者はあんまりいません。

睡則双眼一合、百事共忘、肢体皆適、塵労尽消。

睡はすなわち双眼一に合し、百事ともに忘れ、肢体みな適、塵労ことごとく消ゆるなり。

睡眠というものは、両方の目どちらも瞼を合わせると、あらゆることを忘れてしまい、手足も胴体もすべてここちよく、塵のような欲望、疲労する思考、それらみな消え果てるのだ。

なんと味わい深いことでありましょう。

世間には眠った時の夢の世界を称賛するひともいますが、

即黄梁南柯、特余事已耳。

すなわち「黄梁」「南柯」も、特(た)だ余事なるのみ。

「黄梁」(きいろいキビ)・・・唐の盧生という若者、邯鄲に行く途中の茶店で、道士の呂翁に会った。盧生は黍飯の炊き上がるまで少し休憩しようとして、呂翁から枕を借りて、昼寝する。覚めて邯鄲に向かった盧生は、そこで成功し、栄耀栄華を極めるが、やがて讒言によって不幸な最期を迎える。そして死にました―――と思ったら、目が覚めて、まだ黍飯も炊き上がっていなかった・・・という「邯鄲夢枕」のお話(唐代伝奇の「枕中記」)のことです。

「南柯」(南側の枝)・・・唐の淳于棼というひと、ある日、酔って槐の古木の下で眠ってしまった。二人の使者に起こされ、大槐安国という国に連れて行かれ、ここで入りては宰相、出でては将軍として大活躍し、ついに国王の女を娶って、南柯郡太守となったが、讒言により本国から攻め立てられ、籠城した宮殿が崩壊して死んだ―――と思ったら、槐の下で目が覚めた。ちょうど槐の南側の枝が切り落とされたところで、試みに木の下を掘ってみると、アリの巣があらわれた・・・という唐代伝奇「南柯記」のお話のことです。

「黄粱を炊く間の物語」や「南の枝の物語」に出てくる人生を体験できるような夢であっても、上述のような睡眠のすばらしさに比べれば、ただのつけたしにすぎない。

静修詩云、書外論交睡最賢。旨哉言也。

静修が詩に云う、「書外に交を論ずれば、睡最も賢なり」と。旨いかな、言や。

南宋の儒者・劉静修(劉因、1249〜1293)の詩の中に云う、

「書物のほかに交際すべきものをあげるとすれば、睡眠がいちばんの賢者であろう」

と。なんとも味わいぶかいではないか、このコトバは。

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「酔古堂剣掃」巻四より。

ということで、昼も居眠りしましたが、夜も寝ます。おいらは肝冷斎でもないのに、こんな更新で時間を費やしているヒマは無いのである。

 

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