このノーマルなぶたもブタ学校の卒業生である。
ついに昨日、「会社なんか辞めてやる!」と飛び出してしまいました。もうニンゲン社会にはいられません。
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「ぶー」「ぶー」「ぶびー」「ぶびー」
という声が聞こえます。
まるでブタの鳴き声のようだなあ、と思ったひとは大間違い。「ような」ではなく本当のブタの声なのです。
わたくしはニンゲン社会を追われ、ブタの国に来て、ブタ学校の先生になったんです。
「・・・今日は、「周易」の「師」卦の講義である」
とわたくしが講義を始めます。ぶたたちは
「ぶー」「ぶー」「ぶぶー」「ぶぶー」と、オモシロくなさそうに教科書を開きます。確かにオモシロくないんだから仕方ありません。一部は退屈で居眠りしているやつの寝言かもしれません。
・・・おっほん。
「師」の卦は上が☷(坤)、下が☵(坎)というかたちの卦です。「師」は大きく「師団」などと使われる「軍隊」の意味(こちらがもともとの意味です)と「師匠」などと使われる「先生」の意味と二つありますが、「易」の「師」は軍隊という意味です。
「師」の卦の彖伝(原始的な注釈)に曰く、
師、衆也。貞、正也。能以衆正、可以王矣。
師は衆なり。貞は正なり。よく衆を以て正、以て王たるべし。
「師」というのは多数の人のことである。また、(「師」は「貞」なり、ともいい)「貞」というのは「正しい」ということである。すなわち、多数の人を正しくする、ということなので、そうであれば(その指導者は)王となることができるであろう。
剛中而応、行険而順。
剛中にして応じ、険を行きて順なり。
下の方の☵は剛である陽の爻が真ん中にあって、上の方の☷の真ん中の陰の爻とは対応しあっている。☵(坎)は険しい道のことであるが、多人数がそこを進んでも、☷(坤)は従順という意味があるので、指導者に従順である、ということである。
このようなりっぱな軍隊は、王者の師というべきでしょう。
そして、
以此毒天下而民従之、吉、又何咎矣。
ここを以て天下を「毒」して民これに従う、吉にしてまた何の咎かあらん。
このような軍隊を以て天下を「毒」する。人民はこれに従順である。幸福な状態であって、いったいなにか問題があるのであろうか。
というのです―――が、さてさてさて。
この「毒」とは何でしょうか。
「ぶー」「毒キノコは美味いでぶー」「腐りかけた果物も美味いでぶー」「毒は「美味くて腹を壊す」という意味でぶー」
とブタたちはぶうぶうと言いました。
・・・おっほん。
まず、宋の程伊川の意見。
〇「毒」を「毒害」(はげしく害する)とよみます。
師旅之興、不無傷財害人、毒害天下。然而民心従之者、以其義動也。
師旅の興るや、財を傷め人を害する無きにあらず、天下を毒害す。然るに民心これに従うは、その義を以て動けばなり。
軍事行動が起こると、ひとびとの財産や人命に害を与えることが無いではなく、天下にはげしい害を与えるものである。それでも人民の心がそれを支持するのは、その軍事行動が正義のためのものであるからである。
これが晋の干宝以来の有力説で、うまく説明したように見えます・・・が、「王者の師」という理想的な軍隊が善良なひとびとの財産や人命に激しい害を与えるものなのだろうか、という疑問が沸きます。
後漢の馬融の説は
〇「毒」は「治」(おさまる、おさめる)という意味だ、というものです。
与行険而順、義不相応。行険即毒、順即民従也。
「険を行きて順なり」と義として相応せず。「険を行く」はすなわち「毒」(治める)にして「順」はすなわち「民従う」なり。
(「毒」を「害する」意味にとると、)「険しい道を進んでも指導者に従順である」という言葉と矛盾してしまう。「天下に毒する」というのは、「険しい道」を進むような困難があっても天下を治める、という意味であり、「指導者に従順である」というのは、人民がその政治を支持する、ということだ(と解すれば、矛盾なく理解できる)。
んだそうです。
晋の王弼は
〇「毒」は「役」(つかう)なりと訓じる。
この説によれば、「天下を毒して民これに従う」というのは、「天下にいろいろ徴発するけど、人民は文句を言わない」ということである。
清の兪樾は
〇「毒」はほぼ同音の「督」の仮借である。
この説だと、「天下を毒して民これに従う」というのは、「天下にいろいろ督促するけど、人民は文句を言わない」ということである。
民国の尚秉和は
〇☵(坎)は「毒」のすがたである。「毒」は字義どおり「ポイズン」のことである。
と言いますので、この説によれば「天下を毒して民これに従う」というのは、「天下に毒をまき散らす(ような害悪を為す)が、人民は文句を言わない」ということである。意味的には結局、程伊川らの有力説と同じになります。
・・・というような各説があるのであるが、みなさんはどれが・・・
と言うところで、
ピーンポーンパーンポーン・・・
とチャイムが鳴りました。
「では午前中の講義はここまでにします」
と言いますと、
「ぶびー」「ぶーぶー」「ぶー」「ぶびびー」
と大いに喜びました。なにしろこれからブタたちの最大の楽しみである昼めしの時間ですからね。
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いろいろ説がありますが、もともと「毒」は「髪飾りをつけた巫女」の象形文字です(白川静先生)。沖縄のノロみたいなやつですね。あんなやつらが軍隊の先頭に立って兵士たちを鼓舞したり、「このハゲー!!!!」と敵の兵士らを呪詛したりしたので、こういう「毒」巫女たちに率いられて天下は平定され、人民たちも(コワいし)従順に従う、という意味で、「毒」は「治める」と訓じるのが実は正しいのではないか・・・というのが、ブタの寝言以下のおいらの学説であるのでぶー。(本稿には「周易程氏伝」「周易尚氏学」白川静「文字講話」等の各書を参照させていただいた)