平成29年5月12日(金) 目次へ 前回に戻る
「昼と夜で善から悪に性格の替わるようなやつはおりモグれど、昼に無能だったやつが夜は有能だったりはしないでモグる」
明日は土曜日でーちゅ。週末は強い心になれるなあ。
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久しぶりで古典でも読んでみますよ。
君子能亦好、不能亦好。
君子は能もまた好し、不能もまた好し。
立派なひとは、有能でもすてきだし、無能でもやっぱりすてきである。
何故となれば、
君子能則寛容易直、以開道人。不能則恭敬撙絀、以畏事人。
君子、能なれば寛容にして易直、以て人を開き道びく。不能なれば恭敬にして撙絀(そんちゅつ)、以て人に畏れ事(つか)う。
立派なひとが有能ならば、寛大で包容力があり、難しいこと曲がったことはせずに、ひとを啓発し導いてくれるだろうし、無能ならば、恭しくつつましやかで自分を卑下し、ひとを大切にして従ってくれるだろうから。
ところが、
小人能亦醜、不能亦醜。
小人は能もまた醜く、不能もまた醜し。
下らぬやつは、有能でもイヤになるし、無能だとやっぱりイヤになる。
何故となれば、
小人能則倨傲僻違、以驕溢人。不能則妬嫉怨誹、以傾覆人。
小人、能なれば倨傲(きょごう)にして僻違、以て人に驕り溢す。不能なれば妬嫉し怨誹して、以て人を傾け覆(くつが)えす。
下らぬやつが有能ならば、尊大に偉ぶり、難しくてまともでないやり方でシゴトをして、ひとにはおごりたかぶるであろうし、無能ならば、ねたみが激しく、怨み誹謗して、ひとを必ず失敗させるだろうから。
そこでこうなります。
君子能則人栄学焉、不能則人楽告之。小人能則人賤学焉、不能則人羞告之。
君子能なれば人は学ぶを栄とし、不能なれば人これに告ぐるを楽しむ。小人能なれば人は学ぶを賤しとし、不能なれば人これを告ぐるを羞ず。
立派なひとが有能であれば、ひとは彼の教えを受けるのを名誉に思い、無能であればひとは彼にいろいろ喜んで教えてやるだろう。しかし、下らぬやつが有能であっても、ひとは彼の教えを受けるのを不名誉に思い、無能であればひとは彼にいろいろ教えてやるのを屈辱的だと思うものだ。
逆に、
是君子小人之分也。
これ、君子・小人の分なり。
このことから、(ひとが彼に教えを受けたり教えたりするときにどう感じるかによって)彼が立派なひとなのか、下らぬやつであるかが、わかるということになる。
なんだそうでーちゅ。
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「荀子」不苟篇第二より。
おいらたち寺子屋育ちの童子のこころにはよくわかるのですが、西洋風の学問をした賢いひとからは「トートロジー」と批判されるんでしょうね。
せっかくですから、ドイツ国軍ゼークト参謀長の軍人の四分類(有能な働き者、無能な働き者、有能な怠け者、無能な怠け者)とどこがどう違うのか、比べてみましょう。
・・・ところで、あなたは、自分がどれに当たると思ってるんでちゅかな? え? ほかの人もほんとにそう見ているのか、聞いてみたら? うっしっし、うっしっし。