平日になると誰も遊んでくれないのでうつ状態になるおきなわ妖怪たち(きじむな、シーサー、みみちりぼうじ)であった。
平日は苦しいです。
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清の時代のことですが、
郷曲農民入城、見官長出入。
郷曲の農民、入城して官長の出入を見る。
いなかの百姓が町へ出てきて、お役人の行列を見た。
お供の者や門番など、緊張した面持ちで対応しているのを見て、大したものだと思い、
視有仙凡之隔。
仙凡の隔て有りと視る。
「あの方々とわしらには、神仙と人間ぐらいの違いがあるなあ」と感じ入った。
しかし、彼は知らないのだ。
官長簿書之積、訟獄之繁、其苦十倍于農民也。
官長の簿書の積、訟獄の繁、その苦、農民に十倍せり。
お役人には、積み上がった書類の処理、面倒な裁判事務など、百姓よりも十倍もイヤなことがある、ということを。
さてさて。
做官者於公事掣肘送往迎来之候、輒曰。
官を做(な)す者、公事に掣肘せられ、往くを送り来るを迎うるの候、輒ち曰わん。
役所勤めをしている者は、公務の際には肘をつかまれるようにいろいろ指図され、あるいは行くひとの送別会、来たひとの歓迎会に出席させられて、ぶつぶつ言っているのである。
なんと言っているであろうか。
何時得遂帰田之楽、或採於山、或釣于水乎。
いずれの時にか帰田の楽を遂ぐるを得て、或いは山に採り、或いは水に釣らんや。
「いつになったら田園に帰って楽しむことができるのだろうか。はやく、山に行って山菜をとったり、川に行って魚を釣ったりして、暮らしたいものだなあ」
と。
しかし、彼は知らないのだ。
漁樵耕種之事、其苦又十倍于官長也。
漁樵耕種のこと、その苦、また官長に十倍せり。
漁師や木こりや耕作者のシゴトには、お役所勤めよりもさらに十倍もイヤなことがある、ということを。
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清・梅渓先生・銭泳「履園叢話」七より。
他の人の境遇を羨んでいると、十倍の十倍の十倍・・・と、どんどんイヤことばかりになってくるみたいですよ。