みんな仲良し、楽しいなあ。自由だなあ。「コッコ」「ピヨピヨ」「ピヨ」「ピヨ」「ピイ」「ぶう」。
体重が増えたりいくつか悪いことはあった。でも平日よりはいい日であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
休日はものごとがみな楽しく感じますね。自由だからなあ。
凡物皆有可観、苟有可観、皆有可楽、非必怪奇偉麗者也。
およそ物はみな観るべき有り、いやしくも観るべきあれば、みな楽しむべく、必ずしも怪奇偉麗なるもののみにあらざるなり。
ものごとには、どんなものでも注目すべきところがあります。そして、いやしくも注目すべきところがあるならば、必ず楽しむことができます。決して、怪なるもの・奇なるもの・偉なるもの・麗なるものだけが楽しい、というわけではありません。
ほんとうに普通のもの、あるいは普通よりダメだと思われているものであっても、
餔糟啜漓、皆可以酔、果蔬草木、皆可以飽。
糟を餔(ふく)み漓を啜るも、みな以て酔うべく、果も蔬も草木も、みな以て飽くべし。
酒かすを食べ、酒の薄い部分をすすったとしても酔うことはできます。果物、野菜、さらに草や木であっても、食べれば腹の足しになります。
どんなものでも楽しむことができるのですよ。
このことを推し進めれば、どこに行っても楽しくないところはない。
しあわせを求め、わざわいを避けようとするのは、しあわせが喜ばしくわざわいが悲しいことだから、ですが、人間の欲望には窮まりが無く、やがて欲望を満たすためには物質が足りなくなってしまうでしょう。これはすばらしいもの、こちらはきたならしいもの、と区分けしたり、これは欲しい、これは要らないと選択することがあまり多くなれば、楽しいことは少なくなり、悲しいことばかり多くなってくるに違いありません。結局、わざわいを求め、しあわせを避けようとすることになっていませんか。
わたしは熙寧元年(1068)、銭塘・杭州から辺鄙な山東・密州に異動しました。到着したとき、何年かの不作続きで、盗賊団が出没し、刑事事件は続発し、食糧事情はよくなくて、わたしの食膳も毎日クコとか菊の葉とか、そんな粗末なものばかりであった。周囲のひとは「この新しい知事はこの土地がイヤだろうなあ」と思っていたに違いありません。
しかし、一年ほどしたときのわたしは、顔つきやからだはでっぷりと肥り、白かった髪が黒くなり、心身ともに健康になったのです。ひとびとの純朴さがわたしに適合し、わたしののそのそした仕事ぶりがひとびとに適合したのでありましょう。
治政もうまく行きはじめ、五穀は稔り、盗賊団は解散し、刑事事件は減り、食べ物が潤沢になってきた。そこで、わたしも余裕ができたので、小さいながら庭園を造ってみましたのじゃ。
庭園は高台にあって、そこから眺めれば、西の方穆陵は古代、太公望呂尚が封ぜられ、覇者・斉の桓公が天下を定めた故地、北の方に流れる維水は漢楚の争いのころ、淮陰侯・韓信が楚の龍且を撃滅した古戦場である。
台高而安、深而明、夏涼而冬温。雨雪之朝、風月之夕、予未嘗不在、客未嘗不従。
台高くして安、深くして明、夏涼しくして冬温たかなり。雨雪の朝、風月の夕、予いまだかつて在らざるなく、客いまだかつて従わざるなし。
台は高くて安定しており、樹々も深く繁っていますが見晴らしはよくて明るい。夏は涼しく冬はあたたかです。雨や雪のそぼ降る朝まだき、風さわやかで月清らかな夕べ、わたしは必ずそこにいます。わたしを訪ねてくれた友人は、必ずそこに連れて行かれます。
そして、
擷園蔬、取池魚、醸秫酒、瀹脱粟而食之、曰楽哉遊乎。
園蔬を擷(つ)み、池魚を取り、秫(じゅち)酒を醸し、脱粟を瀹(やく)してこれを食らい、曰く、「楽しいかな、遊ばんか」と。
庭園の野菜を収穫し、池の魚を釣り上げ、アワで酒を醸し、搗いてない玄米を蒸してこれを食う―――。そしてわたしは言うんですな、「楽しいなあ。自由がいいなあ」と。
わたしの弟・子由が済南の地にいて、わたしが庭園を造ったのを聞いて手紙をくれました。そして、この台に「超然台」と名づけてくれた。
「超然」、すべてのものを超越して暮らす―――確か「荘子」のコトバだったと思うが、
以見予之無所往而不楽者。蓋游於物之外也。
以て予の往くところとして楽しまざる無きものを見(あら)わすなり。けだし、物の外に游(あそ)べばなり。
そのコトバで、わたしがどこに行っても楽しく生きているのを表現しようとしてくれたのでしょう。なんでそんなに楽しいかといえば、わたしは物事にかかわずらうことなく、世俗の外にふらふらしているから、なんですな。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宋・蘇東坡「超然台記」(「唐宋八大家文」巻二十三所収)。
五代・宋以降、チャイナの読書人は理屈とか建前でしかモノを言おうしなくなるので、読んでてほんとにイヤになってくるやつが多いのですが、東坡先生は理屈と建前も言いますが、それだけではなくて、楽しくて自由なところもあるので、休日にも読めます。楽しいなあ。