ある程度の知恵を持つ者なら、富貴を目指す心や目立ちたいというキモチは否定されるのだが。
今日はこれを観たら、なんだか虚しくなって帰ってきた。
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確かにあらゆるものが、この自分自身でさえ、虚しいものなのでございます。
山河大地已属微塵。而況塵中之塵。
山河大地もすでに微塵に属す。しかるに況んや塵中の塵をや。
山や川やこの大地も、仏法の教えでは空劫の後に微小な塵になるまで壊れてしまうという。その塵の中に暮らしている、塵のような存在である我らに何ほどの価値があるだろうか(何かにこだわって生きてもしようがないではないか)。
血肉身躯且帰泡影。而況影外之影。
血肉身躯もかつ泡影に帰す。しかるに況んや影外の影をや。
我が血や肉やからだそのもの、というような存在の実感のあるものでも、いずれは泡や影のように消えてなくなってしまうものなのである。その影のような肉体のさらに外の影(である富貴や名声)に何の意義があるのであろうか。
非上上智、無了了心。
上上の智にあらざれば、了了の心無し。
すごく上等の知恵があって、はじめてこれらのことを了解する心境になるのである。
そういう心境を目指したいものである。
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「菜根譚」後集第十二則。
こんな心境で明日会社行けるかなあ。