ぽんぽこ、ぽんぽこ、花が散るのに興奮したポンポコの腹鼓みが響き・・・
だんだん埋もれていくモグ。
やっと一日終わった。まだ四日もあるんだなあ。四日ぐらい花びらに埋もれ、酔いどれていたいものだが。
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土岐頼遠は美濃のひとで、足利尊氏に従って功があった。
南朝・興国三年、すなわち北朝・暦応五年(1342)のこと、頼遠と二階堂行春は比叡馬場での弓射会において大いに酒を飲んだ。
酔いどれ状態になりまして、
夜帰、路遇光厳帝自伏見殿還。
夜帰るに、路に光厳帝の伏見殿より還るに遇えり。
夜、帰邸の途中で、光厳上皇が伏見院からお戻りになる牛車に出くわした。
行春の方は、
聞前駆称警、下馬而伏。
前駆の警を称するを聞きて、下馬して伏せり。
先駆けの侍の警蹕の声を聞いて、そのどなたであるかを知ってすぐ下馬し、道ばたに平伏して避けた。
ところが、
頼遠被酒大罵曰今時令我能避路者、誰。
頼遠、酒を被りて大罵して曰く、「今時に我をして路を避けしむる者は誰ぞ」と。
頼遠の方は酔っていたこともあって、大声で罵っていうに、
「いまどきこのわしに道を避けさせようなどという、そいつは誰なんだあ?」
と。
先駆けの者は言うた、
院也。
院なり。
「畏れ多くも、院におわしますぞ」
「はあ?」
頼遠、これで相手が何者であるか知ったはずなのですが、ふふんと笑いて曰く、
院耶、犬耶。(院、犬国音近。)果犬則応射之。
院や、犬や。(院と犬は国音近し。)果たして犬ならばすなわちまさにこれを射るべし。
「「いん」か? 「いぬ」か? (院と犬は我が国のコトバでは同じように聞こえるのである)もしイヌであったら、(犬追うものでやるように)矢を射かけるべきだよなあ」
と言いまして、配下の侍たちに牛車を取り巻かせ、本当に矢を射かけ、
折軛、断輻、侵辱而去。
くびきを折り、輻を断ちて、侵辱して去りぬ。
牛車をひっぱるくびきを折り、車の矢をぼきぼきと切り割って、いやがらせしてから逃げたのであった。
これが見つかりまして、大目玉を食らいまして、六条河原で斬首されたのだそうでございます。
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磐城・白河のひと山下直温の「皇朝蒙求」巻上より。
狼藉の報いとして斬首である。すなわち「ヘッド・ハンティング」。空母も近づいているかも。
モグたちの跡形もない。