春になってきて、保護されていたアリの巣から追い出されるキリギリス。これから会社に行くなどして自分で食わねばならないのだ、と思うと涙がにじむ。
エイプリルフールも終わり、今日からはウソをついてはいけないのです。本心で語らねばならないのだ。では本心を言います。
とにかく明日会社行くのイヤで、涙( ;∀;)出る!
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表面はうまくいっているように見えるのですが、二重基準などを言い出すひとがいて、中身が腐敗しているような気がするのも、本心では指摘しておきたいところ。
天下之患、最不可為者、名為治平無事而其実有不測之憂。
天下の患の、最も為すべからざるものは、名は治平無事と為してその実は不測の憂い有るなり。
天下の問題の中でも、最高級にどうしようもないのは、表面はよく治まって平和でありながら、実際は表面化していない課題がある状況、である。
坐観其変、而不為之所、則恐至於不可救。起而強為之、則天下狃於治平之安、而不吾信。
坐してその変を観て、これが所を為さずんば、すなわち救うべからざるに至るを恐る。起ちて強いてこれを為さば、すなわち天下治平の安に狃(な)れて吾を信ぜず。
そのまま放っておいて変化するままにし、何か対処をしないでおくと、やがて救済できない状況まで進んでしまう心配がある。ところが、立ち上がって問題を解決しようとすると、世の中は治まって平和であることに馴れてしまっているので、わたしのコトバを信じようとしない。
ほんとうに困ったことである。
ふつうの人にはなかなかどうしようもないのだが、
唯仁人君子豪傑之士、為能出身、為天下犯大難、以求成大功。
ただ仁人君子、豪傑の士のみ、よく身を出だして天下のために大難を犯し、以て大功を成さんことを求むるなり。
ただ仁徳篤い君子や豪傑のおのこのみが、よくぞ自分で手を挙げて、天下のために大困難に立ち向かい、大いなる功績を遺そうとするのである。
むかし漢の景帝(在位前157〜前141)のとき、その相として諸王の権限を削減して、ついに呉楚七国の乱を招いた鼂錯(ちょうそ)もそのようなひとであった。しかしながら、乱を起こした諸王が「鼂錯を除く」ことを唱えたため、恐れた景帝によって錯は腰斬の刑に処せられたのである。錯を斬っても諸王の乱は治まることはなかったが、結局は皇帝側の威武に敵することができず鎮圧されて、漢帝国にとって問題となりかけていた諸王の権限は縮小せられ、武帝の時に強大な帝国となることができたのである。錯に先見の明があったということが言えよう。
しかしながら、このようなことは常人に出来ることではない。
もしある人が、
其言語飲食起居動作、固無以異於常人。此庸医之所以為無足憂。
その言語・飲食・起居・動作、もとより以て常人に異なる無し。これ庸医の以て憂うるに足る無しと為すところなり。
言うことも飲食のようすも、立ち居振る舞い、行動も、すべてふつうの人と同じ様子であったとする。ふつうの医者であれば、「これなら特に問題はございません」と診断することであろう。
ところが、これを診て、名医ならば
「うひゃあ」
と叫んで逃げ出すほどのどうしようも無い状態になっている、というのが、天下の最も困難な状況なのである。
さて、いま現在はどうなのであろうか。
大宋帝国が天下を統一してより百年、
天下有治平之名、而無治平之実。有可憂之勢而無可憂之形。
天下治平の名有りて、治平の実無し。憂うべきの勢有りて、憂うべきの形無し。
天下には治まり平和である、という名目はあるが、治まり平和である、という実感は無い。また、心配な方向性はあるのだが、まだ心配は実体化していない。
これこそ最もはかりづらい状態なのではなかろうか。
現在の天下には、
非有水旱盗賊、人民流離之禍、而咨嗟怨憤、常若不安其生。
水旱・盗賊、人民流離の禍有るにあらず、而して咨嗟・怨憤、常にその生に安んぜざるが如し。
水害や旱害や群盗が発生して、人民が土地を離れ彷徨っている、というわざわいが起こっているわけではない。ところが、不満や悲しみを嘆き憤おるひとはあって、自分の今の境遇に安住しきってはいない。
非有乱臣割拠、四分五裂之憂、而休養生息、常若不足於用。
乱臣の割拠して四分五裂の憂い有るにあらず、而して休養・生息、常に用に足らざるがごとし。
叛乱を起こした者たちが割拠して、国土が四分五裂している、という問題が起こっているわけではない。ところが、民の生活が十分に養われ、みな安息しているかというと、常に必要な生産が為されているとはいえないようである。
非有権臣専制、擅作威福之弊、而上下不交、君臣不親。
権臣専制してほしいままに威福を作すの弊有るにあらず、而して上下交わらず、君臣親しまず。
権力を握った一部の臣下が専制を行い、好き勝手に処分したりひいきしたりするという弊害が起こっているわけではない。ところが、上位者と下位者の間は冷え切り、君主と臣下は親愛ではない。
非有四夷交侵、辺鄙不寧之災、而中国皇皇、常有外憂。
四夷こもごも侵し、辺鄙不寧の災有るにあらず、而して中国皇皇(こうこう)、常に外憂有り。
四方の異民族どもが交代に侵略してきて、辺境地帯ではいつも戦火が絶えない、という状況に陥っているわけではない。ところが、どういうわけか我がチュウゴクはびくびくし、いつも外部から侵略に怯えている。
此臣所以大惑也。
これ、臣の大いに惑せるところなり。
なぜこんなことになるのか。わたくしには解決できず、悩んでいるところなのであります。
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宋・蘇東坡「論鼂錯」「策略一」(「唐宋八大家文」巻二十一・二十二所収)より。
これは北宋の終わりごろのことのようなので、ゲンダイの我が国のことではないのだ。何となく似ているような気がしてちょっと心配になっていたのですが、よかった、よかった。
さあ、明日からはまたシゴトだなあ。オトナの中に交わって、おいらのようなコドモがシゴトをするのだからどう考えてもムリがあるのである。そこでおいらたちコドモの中に、咨嗟し怨憤するひとは多い。