社会を混乱させたり国賊となるようなやつらと付き合ってはいけない。
血圧高くなったし、心臓も苦しいんです。蝮蛇の毒にやられたわけではなく、先週末からの五日ほどの間に体重3キロ増しているせいであろう。どんな努力もせせら嗤って体重増えるのだ。もうイヤだ。なのにまだ水曜日。
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嗚呼、乱臣賊子猶蝮蛇也。其所螫草木猶足以殺人、況其所噬齧者歟。
嗚呼、乱臣賊子はなお蝮蛇のごときなり。その螫(さ)すところの草木すら、なお以て人を殺すに足る、いわんやその噬齧(ぜいげつ)するところのものをや。
ああッー! 社会を乱し国賊となるような臣下や子弟というのは、マムシとか毒蛇のようなものだ。その毒を浴びた草や木さえ、人を殺すほどの毒性を持つという。もし直接に咬まれた者がどうなってしまうか、説明の必要もないであろう。
歴史的に見てみますと、三国・魏の末、(魏の末帝である)高貴郷公の侍中(秘書官)であった鄭小同は、ある日、魏の帝位を伺う司馬師のもとに出かけた。司馬師のところには、その参謀から、帝位を奪うための秘密の作戦書が届いていたが、司馬師はそれをそのままにして、鄭小同を待たせたままトイレに行った。
トイレから戻ってきて、作戦書がそのままになっていたのに気付き、小同に「これを読んだのではなかろうな」と問うた。小同は「見ておりませんが・・・」と答えた。
司馬師曰く、
寧我負卿、無卿負我。
むしろ、我は卿にそむくとも、卿をして我にそむかしむる無けん。
「そうか。しかし、わしがおまえを裏切ることがあっても、おまえにわしを裏切らせることがあってはいかんからなあ」
「は?」
司馬師は小同に酒を奨め、
遂鴆之。
遂にこれを鴆す。
これに毒を入れて、結局、彼を殺してしまった。
また、晋の時代、王允之(おう・いんし)は、王敦のところで宴会し、ついに寝てしまった。
夜半になって眠りから醒めたところ、王敦はその参謀・銭鳳とひそひそと叛乱の相談をしていて、允之はその話を聞いてしまい、
慮敦疑己、遂大吐、衣面皆汚。
敦の己を疑わんことを慮(おもんぱ)かりて、遂に大吐して衣面みな汚る。
王敦が自分を疑うのではないかと推察し、ついに無理に大量に吐瀉して、服も顔も吐瀉物(ゲロである)でゲロゲロになった。
王敦は、允之の存在を思い出して、
果照視之、見允之臥吐中乃已。
果たしてこれを照らし視たるも、允之の吐中に臥したるを見て、すなわち已む。
やはり灯りをとって彼の方を見てみたが、允之が吐瀉物まみれになって寝ているのを見て、顔をしかめただけであった。
ああ。
哀哉小同。殆哉笈笈乎允之也。
哀しきかな、小同。殆うきかな、笈笈乎(きゅうきゅうこ)たる允之。
鄭小同はなんとかわいそうではないか。ギリギリ状態の王允之は危なかったではないか。
かつて孔子はおっしゃった(「論語」泰伯篇)。
危邦不入、乱邦不居。
危邦には入らず、乱邦には居らず、と。
「あぶない国には入るな、乱れた国には長居するな」と。
本当に、意義のあるコトバではないか。わたしは歴史書を読んで、鄭小同や王允之のことを知り、
感其所遇禍福如此、故特書其事。後之君子可以覧観焉。
その遇うところの禍福かくの如きに感じ、故に特にその事を書せり。後の君子、以て覧観すべし。
彼らが遭遇した好運と不運に感じいって、特にそのことを書き記したのである。後世のよき人びとよ、よくよくこれをご覧いただきたい。
司馬師と王敦が、蝮蛇より毒のある「乱臣賊子」に該当し、罪のない周囲のひと(鄭小同、王允之)にも毒を吹きかけた、というわけです。
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宋・蘇東坡「論鄭小同・王允之等」(「唐宋八大家文」巻二十所収)。乱臣や賊子と付き合うとたいへんですね。
本日、WBC準決勝戦にて日本代表敗退。昨日まで称賛していたひとたちから、これからいろいろ毀貶のことがあるであろうが、彼らのこの二週間に遇うところの禍福に感じ入って、特にこの文を読んでみた次第である。