「↓はかなりのエロおやじでぽんぽこ」「↓最晩年まで女色に耽っていたことになっているでこん」
もうイヤだ。山中に入って暮らそう。・・・と思ったんです。しかし・・・。
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山中に入って行きますと、小さな庵があって、坊主が一人暮らしていた。坊主はわしをじろりと見て、言った。
淫坊十載興難窮。 淫坊の十載、興窮まり難し。
強住空山幽谷中。 強(し)いて空山、幽谷の中に住む。
この十年ぐらいの間、エッチな風俗街に暮らしていたが、楽しくって仕方がなかった。
今は、無理やりにこの人も棲まない山中の、暗い谷間に暮らしているのだ。
好境雲遮三万里、 好境は雲遮りて三万里、
長松逆耳屋頭風。 長松は耳に逆らう、屋頭の風。
あのいいところは雲の向こう、三万里(ぐらいあるかと思うような遠い)かなたになってしまった。
わしは毎日、耳にうるさい家の近くの大松を吹く風の音を聞いているばかりじゃ。
「逆耳」は、「耳にキモチよく入って来ない」という意味で、「忠言」(ためになるコトバ)のことを指しますが、ここは単に「うるさい」ぐらいの意味でしょう。
と、この坊主は山中に棲んでいるのが不満らしい。
このひとはどなたであろうか。
狂雲真是大灯孫、 狂雲はまことにこれ大灯の孫なり、
鬼窟黒山何称尊。 鬼窟黒山に何ぞ尊を称せられん。
狂雲は本当のところ大灯国師の孫弟子である。それほどのわしが、
真っ暗な山の中、幽霊の棲むような洞窟で尊敬されているようなことで満足しているはずがあるまいぞ。
ええ――! 大灯国師・宗峰妙超(1282〜1338)の孫弟子で、「狂雲」と号したひと、といえば、一休宗純さまではありませんか。
小僧のころ、トンチだけ一級品だったんですよね。
「いや、それは「トンチ一休さん」で、ホンモノのわしはそんなことはないぞ」
憶昔簫歌雲雨夕、 憶(おも)う、昔、簫歌雲雨の夕べに、
風流年少倒金樽。 風流の年少、金樽を倒せるを。
わしが思い出すのは、むかしむかし、笛の演奏に歌をうたった快楽の夕べに、
風流な若者たちと金の樽(の酒)を空っぽにして転がしたことじゃ。
「雲雨」は、巫山の女神が楚王の夢に現れて快楽を尽した後、「妾は巫山の女神、あしたには雲となり、夕べには雨となっております」と告げて去って行った故事より、男女の間の快楽のことを指すコトバですが、ここでは、僧侶らしくボーイズラブの愛欲行為を言っている? 「年少」は若い女性を言っている可能性もあるので、そちらだったカモ?
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一休宗純「山居」二首(「狂雲集」所収)。ホンモノの一休さんは応永元年(1394)の生まれで、嘉吉二年(1442)に大阪府高槻の譲羽山に入りました。そのころの詩だそうです。まだ四十歳台のころ、この前後、女性への欲望のことと取れる詩をたくさん作っています。ほんとに困った人ですね。それで、翌年にはもう京都・室町に降りてくる。
なにしろアニメの一休さんではなくてホンモノの一休宗純だから、ねじれにねじ曲がっているんです。愛欲も強いし派閥争いも激しいし。こんな人の隣に住むのはイヤなので、とりあえず今日のところは山中から戻ってきた。