今晩はタヌキ汁か・・・「ぽんぽこ!」。それともブタ汁か・・・「ぶびー!」
週末まで来ました。ああなんとか生きてきたのだなあ。お彼岸なので、そろそろ暖かくなると思います。
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孔子とその弟子たちが亡命中に、陳と蔡の間の野で争い事に巻き込まれ、十数日に間食べ物も無く過ごさねばならなかった―――いわゆる「陳蔡の厄」という事件でございますが・・・。
そのとき、
藜羹不糂十日、子路為亨豚。
藜羹(れいこう)の糂(じん)せざること十日、子路、ために豚を亨(に)たり。
野草のスープをの中に米粒を入れることもできない日々が十日続いたが、こんなときに、子路がどこかからブタを入手してきて煮物を作った。
ブタ汁でした。
もちろん、この状況下では、まともな方法で手に入れたはずがない。しかし、
孔某不問肉之所由来而食。
孔某は、肉の由来するところを問わずして食らう。
「孔某」は孔子を貶めていっているのであります。
孔なにがしのやつは、ブタの入手方法を聞かずに、黙って料理されたブタを食ったのであった。
それから、子路は
褫人衣以酤酒。孔某不問酒之所由来而飲。
人の衣を褫(うば)いて以て酒を酤(か)う。孔某、酒の由来するところを問わずして飲む。
他人の衣を脅してはぎ取り、それと交換に酒を手に入れてきた。孔なにがしのやつは(そのいきさつを知りながら)酒の入手方法を聞かずに、黙って酒を飲んだのであった。
さて、その後、孔子一門は魯の国に戻り、時の君主・哀公に出迎えられて宴会に招かれた。
ところがこのとき、孔子は、
席不端弗坐、割不正弗食。
席、端(ただ)しからずとして坐せず、割、正しからずとして食らわず。
座布団の向きが正確でないと言って座り場所を替えさせ、切れ目が正しくないと言って出された肉を食べるのを断った。
筋が通ってない、とかいって、宴席の係の者たちをたいへん困らせたのである。
子路が見かねて進み出て、孔子に訊ねた。
何其与陳蔡反也。
何ぞそれ、陳蔡と反するや。
「(先生、陳蔡の野で苦しんだときはブタや酒の入手方法を問いもしませんでしたのに、)どうしてあのときと違って筋目がどうこうとおっしゃるのか?」
孔なにがしは言った。
曩与女爲苟生。今与女爲苟義。
曩(さき)には女(なんじ)と「苟生」(いやしくも生きんこと)を為さんとす。今、女と「苟義」(かりそめにも義ならんこと)を為さんとすなり。
「あのときは、おまえたちとともに「なんとかして生き延びよう」としたのじゃ。今は、おまえたちとともに「少しでも正義に沿って」行動しようとしているのじゃ」
と。
ああ、これが孔なにがしのやり方である。
飢約則不辞妄取以活身。嬴飽偽行、以自飾汙邪。詐偽孰大於此。
飢約すれば妄取を辞せずして以て身を活(い)かし、嬴飽(えいほう)すれば偽行して以て自ら汙邪(おじゃ)を飾る。詐偽することこれよりいずれか大なる。
飢えて困ったときは、無理にでも入手することは否定しないで身を守ったかと思うと、飽きたりたときには偽りの行動をとって、自分のきたないところを飾るのである。彼以上にいつわり誤魔化すやつがいたであろうか。
聖人であられたと儒家たちが奉る孔某の実態はこんなものだったのだ。
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「墨子」第三十九・非儒下篇より。「墨子」の「非儒篇」(儒者を非(そし)る話集)は、ほかにも次々と孔某の醜態を暴露していてたいへんオモシロいです。もちろん事実であるかどうか、証すものは何もありませんけど。
聖人・孔子はもう少し立派なひとだったと思いますが、ゲンダイにおいて現実に正義を振りかざしているやつらを批判するコトバだとすれば、まことに正鵠を射ている・・・のかも知れません。ああ、おそろしい、われらはブタのように煮られて彼らのエサになるのかな。